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■代表者 大矢由紀夫
 
■所在地 〒456-0062
愛知県名古屋市熱田区
大宝一丁目1番1号
ヴェルクレート日比野A棟216号
■TEL&FAX (052)683-5150
■E-mail info@gts-kokoro.jp
■定休日 土、日曜日
■受付時間 9:00~18:00(予約優先)
最後に……。
最後に自分の師のことを書いて、このブログも終わりにしたいと思います。

私の師であった園頭広周先生は、高橋信次先生の後継者(色々異論のある方は多いでし
ょうが)として、数十年の間、法を説き続けてこられました。そして亡くなられる三年前に倒
れられ、寝たきりになられてしまいました。
寝たきりになられたとたん、先生の弟子の中からも先生の悪口を言いたてる者が、でてき
たのは誠に遺憾なことでした。園頭先生は多くの病人を癒され、多くの奇跡を起こされまし
た。その奇跡を見て、助けられた人も大勢いたのです。そのような人達が、先生の悪口を
平気で言っているのです。この人達の心の軽さにあきれました。そればかりではなく、先生
のお体が不自由になられたとたん、先生を自分の友達のように扱い、ずうずうしい態度をと
りだした弟子もいました。師と弟子との間は、どこまでいっても師は師であり弟子は弟子で
す。弟子は師への一線を越えてはならないのです。

園頭先生は講演をされるときなど、必ず高橋先生のお写真に合掌されておりました。高橋
先生のお話をされるときでも、常に高橋先生を立てていられました。高橋先生は亡くなられ
ていたとはいえ、園頭先生は高橋先生との師弟の関係は常にもっていられ、尊敬の念を
忘れたことはありませんでした。そんな師弟関係を目の前に見ていながら、師のお体が不
自由になられただけで、友達のような態度を平気で師に向かってとる弟子達がいたのです。
師の悪口を平気で言っている弟子や、友達のように接した弟子達は、師の体が健康であっ
たなら、そのような悪口を言ったり、友達のような態度をとれたのでしょうか?そんな態度は
絶対取らなかったでしょう、なぜならそのような人達は師が健康な時は、師を神様のように
拝み、奉っていたからです。

このような人達が急に態度を変えられるのは、師の体しか見ていないからです。師の心は
まったくかわっていないのに、体しか見ていないからこのような態度を、師に向かって平気
でとれるのです。この人達は師のもとで何を勉強していたのでしょう。あれほど心が大事だ
と師が説かれていたというのに……。

師が寝たきりになられたため、多くの人が師を批判しました。法を説く人があんな寝たきりに
なったんではだめだ、だの、罰があたっただのと、しかし、こういう人は師の苦労を何も分か
っていない人達にすぎません。師はもう八十になろうかというご高齢でした。その高齢な方
が、もう何十年も重いカバンをもって全国を駆け回っていられたのです。そればかりではな
く家に帰れば本の執筆はある、悩みの電話はかかってくる、手紙の整理と返事は書く、と
ゆっくり家で休む暇もなく、また講演に出かけて行かれるのです。こんな生活を続けていら
れて、体を壊さない方がどうかしている、現実に師は病院の先生に、今日の講演は休みな
さい、と何度も止められていたのです、病院で点滴を受けられて、そのまま講演会場にいか
れたことも、何度もあったのです。師のこんな苦労も知らず、寝たきりの部分だけ見て、あ
れではだめだという人など、師のことを何も分かっていない人達なのです。
高橋先生もそうでした、自分の体は二の次にして、全国を駆け回りお体を酷使した結果、
過度の疲労からくる膵臓と肝臓の悪化で亡くなられました。如来と言われる方々は皆、
自分のことを二の次にして人のことを考えます、そのため体を壊され、最後は亡くなられ
るのです。自分の命を人々に捧げられるのです。

私は、その如来のことを少しでも知ってもらおうと、このブログを書いてきました。このブロ
グを読まれた方で、如来の法というものに興味をもたれた方は、ぜひ、ご自分で勉強して
いっていただきたいと思います。今、如来の法を正しく継いでいられる人はいません。
しかし、如来の本は残っています。その本を読み、実践していくしか如来の法が分かる方
法はありませんが、いずれ大きな奇跡が起こることになります。起こることになりますが、
その奇跡を理解するには法を知る以外にありません。一人でも多くの方が、大奇跡を目
の当たりにすることを、願ってやみません。どうぞ多くの方が、如来の法を理解されます
ように…。ありがとうございました。
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# by gtskokoro | 2009-07-21 15:25
異次元の世界
出口王仁三郎という人がおります。この方は宗教家で「霊界物語」という81巻からなる本を
口述されたということで有名ですが、この方が口述された霊界物語の中には、天人、天女
がでてくる神界から、鬼や蛇がでてくる地獄界まで、様々なあの世の世界がでてきます。

この出口王仁三郎という方は、死後の世界すなわちあの世の世界を、多くの人々に知らせ
る使命を持って生まれてきた人でありましたが、残念ですが出口王仁三郎氏の霊界物語だ
けでは、多くの人にあの世(霊界)の存在を知らせるまでには至らなかったようです。現在
のほとんどの人が、死後の世界を信じていないのが、そのよい証拠ですが、しかし、科学の
世界で死後の世界(異次元の世界)や霊の存在、輪廻転生を認め始めた現代、科学の発
達が死後の世界を裏付けてくれることになり、もう数十年もすれば、死後の世界を信じない
人は非科学的で遅れた人達といわれるようになるでしょう。なぜなら現時点においてさえ、
死後の世界がないという根拠はまったくありませんが、あるという根拠はたくさんあるからで
す。

死後の世界の一番分かりやすいものが臨死体験でしょう。そんなものは夢だの幻覚だのと
文句をつける科学者も多いのですが、この臨死体験は一度心臓が止まって、死んだ人しか
体験してないことや、体験したことが、多くの人が非常に似通っているということが、死後の
世界を裏付ける一つの証拠となるのではないでしょうか。一度死んで息を吹き返した人が、
同じような夢や幻覚を皆が皆見るのでしょうか?親子、兄弟といえども同じような夢や幻覚
など、そうは見ません。臨死体験をただの夢だ、幻覚だ、などという科学者の根拠を聞きた
いものです。

臨死体験は、幽体離脱、トンネル体験、一生を振り返る、死者との再会、あの世(きれいな
花園など)にいる、光の存在など、幾つかありますが、臨死体験者が皆、同じような体験を
していることが、大きな特徴です。臨死体験の体験談をレイモンド・A・ムーディー・Jr.著
「光の彼方に」より抜粋してみましょう。

<私の心臓が止まったって言ってるのが聞こえたけど私は天井の所まで昇ったんです。そ
こからはみんな見えました。天井のすぐ下に浮かんでたから、私の体を見た時、それが私
だってわかりませんでした。それから、あれは私だってわかったんです。廊下に行ったらお
母さんが泣いてるのが見えました。どうして泣いてるのか聞いたんですけど、私の言うこと
が聞こえなかったようです。先生方は、私が死んだと思ってました。
それから、きれいな女の人が近づいてきて私を助けてくれたんです。私が怖がっているのが
わかったからなんです。私達はトンネルを通って天国へ行きました。あそこは、きれいなお花
が咲いています。神様やイエス様と一緒にいました。神様達は、私に、お母さんの気が動転
しているから、お母さんの所へ帰らなきゃいけないっておゃしゃったんです。一生をきちんと
終えなきゃいけないんですって。それで私は戻ってきて、目が覚めたんです。
私が通ったトンネルは、長くてすごく暗かったんです。そこをすごいスピードで通り抜けまし
た。トンネルの向こうに光が見えて、それを見た時、すごくうれしかった。私は長い間、またあ
そこに行きたいと思っていたし、今でも、死んだらあの光の所へまた行きたいと思ってるんで
す……。あの光はすごく明るかった>

このような体験例は、何十、何百とあり死後の世界を裏付ける証拠といっても、さほど問題
がないようにも思いますが……、まぁ唯物論の人達が多い世の中、なかなか、はいそうです
か、とはいかないのでしょう。では、死後の世界がないと言っている方の中で、死後の世
界がないという証拠を出せる方がいれば、ぜひ、その証拠を見せていただきたいものです。
死後の世界を認めていない科学者はたくさんいますが、死後の世界がないという証拠を見
せてくれた科学者を、私は一人も知りません。証拠もないのにないというのは非科学的だ
と思います。

私は如来の教えを学び、その如来が死後の世界すなわち次元の違った世界はある、とい
い、現在の心ある科学者が証明してくれた、有力な経験的証拠がたくさんあるから、死後の
世界はある、と言っているのです。根拠も証拠もなしに、ただ自分がそんな世界は信じられ
ないからない、と言っている人の意見とは違います。この世界は、死んでしまえばすべて終
わり、などという単純な世界ではありません。この世界は、物質の世界だけでなく、幾重に
も重なる非物質の世界、意識界(霊界)もあるのです。

あの世、すなわち死後の世界は存在します。そこが私達がやがて帰るべき、安住の地とい
うことになりますが、ただし、臨死体験にでてくるような天国ばかりではありません。
出口王仁三郎氏の霊界物語にでてくる、鬼や蛇がでてくる世界もあり、皆が皆、天国へい
けるわけではないのです。やったもん勝ちで、悪いことをしてもばれなきゃそれでいい、など
と思っている人は、この世で罰を受けなくても、死んであの世に行けば、いやでも自分の悪
行を反省させられる、恐ろしい世界が待っています。この世界に逃げどくなどありません。
死んでも自分でした悪行は、自分で償わせられるのです。この世で好き勝手生きることが、
いかに愚かなことであるかを知ってください。
天国へいくのも地獄へいくのも、この世の心と行い次第である、ということを知るべきでしょう。
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# by gtskokoro | 2009-07-20 16:33
釈尊の慈悲と予言
シャリー・プトラーが亡くなると、弟のチェンダは遺骨の一部を持って、釈尊がいられる竹
林精舎に帰りました。釈尊は、その遺骨を手にして比丘達に説法をされます。
「比丘達よ、この遺骨は数日前まで汝らのために法を説いた、シャリー・プトラーの遺骨で
ある。彼は、如来と同じように法を述べて多くの人を導いた。彼の智慧は大きく深く、如来を
別にして世に比べるものはなかった。
彼は深く神理を知り、小欲にして閑静を好み、常に勇猛の心を持ち怯弱の心はなかった。
彼はまた争いを好まず、悪を避け常に禅定を修めて智慧を得た。彼の行くところは常に祥
福に満たされた。それは彼がよく邪法、邪教を降伏せしめて、正法を与えたからである。
汝ら比丘達よ、今一度この賢なるわが児の遺骨をみよ」
最愛の弟子であったシャリー・プトラーの遺骨を手にされ、法を説かれた釈尊のお気持ち
は、いかばかりであったでしょう。

それからまもなくして釈尊は、約五百人の比丘達を率いてナーランダに行かれ、シャリー・
プトラーが火葬された跡に立って黙然としていられました。釈尊はシャリー・プトラーのこと
を一人思い出していられたのです。出家して四十数年、そのほとんどを釈尊はシャリー・プ
トラーとともにいられました。遊行にでる時も、釈尊はシャリー・プトラーのグループと行動
をともにし、精舎で説法をされる時も、シャリー・プトラーは常に釈尊の側に控え、晩年の釈
尊は体の疲れがひどい時など「背中が痛くて横になりたい、今日の説法はシャリー・プトラ
ーにやってもらいなさい」と、度々説法をシャリー・プトラーに任せられました。
「シャリー・プトラーが生きているときは楽しかった」
シャリー・プトラーが亡くなった後、釈尊はよくこのような話を周りの弟子達にされました。
自分も涅槃に入る日が近いことを知っていられた釈尊は、シャリー・プトラーに習い、生ま
れ故郷のカピラに帰って死のうと決心されます。

釈尊は弟子のアナンを連れ、生まれ故郷であるカピラに向かって旅立ちます。
周りには多くの比丘、比丘達が従います。すべての弟子達は、これが釈尊との今生の別れ
になることを知っていました。
多くの弟子を連れて旅を続ける釈尊が、クシナガラの近くの町まで来たときに、その町に住
む鍛冶屋のチュンダが、釈尊のご一行に布施したいと申し出ます。そうしてチュンダは茸の
油いためを釈尊にだされ、それを釈尊は食されました。
その後、旅を続けた釈尊はクシナガラまで来ると、はげしい腹痛に襲われ、下痢をして血便
をされます。そして休みながらカクッター川のほとりまでこられ、そこで横になられます。ア
ナンは釈尊が水がほしいと言われたので、川に水を汲みに行きますが、その川は今しがた
五百台の商人の幌馬車隊が、通ったばかりで水が濁っていました。
それでアナンが、水が濁っていて汲めませんと釈尊に言うと、釈尊はもう一度行けば水は
澄んでいると言われるので、もう一度アナンが水を汲みに行くと、川の水はきれいに澄んで
いました。
釈尊は川の水を飲みながらアナンに「チュンダのところに行き、ブッダが悟りを開くときと涅
槃に入るときに、供養した者は天上界にいける、と伝えよ」と命じます。

なぜ釈尊は、こう言われたのでしょう。
それはチュンダを気遣ったからです。もしこのまま釈尊が亡くなれば、チュンダは多くの人に
責められたでしょう。おまえが、あのような油くどい物を釈尊にだされたから、釈尊は亡くなら
れたんだ、と、そう言われることがないよう、釈尊は心を砕かれアナンに、そう命じたのです。
また、こういうことを言う人もいました。
「八十歳にもなり胃腸も弱っているのに、うまいからといって油いためなどのくどい物を、自
分の腹の具合も分からず食べるてるようではだめだ」
こういうことを言う人は釈尊の慈悲の心を、まるで分かっていないのです。
釈尊はチュンダの真心をいただいたのです。チュンダが心をこめてだしてくれた茸の油いた
めを食べ、それで腹を壊して自分が死ぬことになっても、それは自分の死期が来ていたの
であり、決してチュンダの茸のせいではない、釈尊は物だけ肉体だけを見て食べられたので
はなく、チュンダの真心を食されたのです。チュンダは身分の低い者でした。それで自分の
体だけを思いチュンダの布施を断れば、チュンダはどう思ったでしょう。如来の慈悲の心とは
自分の体のことなど二の次にして相手の心を思うのです。釈尊の慈悲の心とは、そのように
広く深いものでした。

釈尊は、いよいよ自分の死期が迫っていることを悟られ、苦しい呼吸の中で最後の説法をさ
れます。周りにはアナンをはじめマンチュリヤ、カッチャナー、ウパリ、スブティー、マイトレイ
ヤーなどの高弟が控えます。
「私の説いた法は、そなた達の心に永遠に残るだろう。この法を、迷える衆生の心にしっかり
と教え、救済しなくてはならない。それが比丘、比丘尼の道である。私の肉体は滅びても心
は常にそなた達のそばにいるのだ。生あるものは必ず滅する、そのことを悲しんではならな
い。正道を多くの衆生に説き、苦しみから解脱させることが、大切なことである。それが私
に対しての報恩ともなるのだ。やがて私の法はマンデヤ、デイシャ(中国)に伝わり、ジャブ
ドウバーのケントマティーに伝わるだろう。私はその時、多くの弟子達と共にまた生まれ変わ
って、この道を説こう」

釈尊は、こう最後の説法をされ、涅槃へと旅立たれます。釈尊の教えである仏教は、釈尊の
予言通りインドから中国に渡り、そうして日本に伝わります。
釈尊は最後に、また生まれ変わってこの道を説くと予言されたのに、涅槃に入った釈尊は生
まれられることはないと、現在は言われています。
しかし、釈尊はジャブドウバーに生まれ変わって法を説く、と予言しておりました。それを伝え
たのがマイトレイヤー(弥勒菩薩)で、それをもとに弥勒菩薩下生経というお経までつくられる
ことになりました。現在の弥勒菩薩下生経の中には、釈尊がジャブドウバーに生まれ変わる
とは書かれてありませんが、仏教学者の間では、ジャブドウバーとは南インドのことである、
という意見が多いようです。

北インドにでられた釈尊が、今度は南インドにでられるということは考えられないこともありま
せんが、実際は違います。
ジャブドウバーとは、南インドのことではなく日本のことであったのです。
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# by gtskokoro | 2009-07-17 16:57
シャリー・プトラー⑥
シャリー・プトラーが釈尊の弟子となって、数十年の月日が流れました。釈尊の右腕とい
われ、釈迦教団筆頭の弟子として釈尊にもっとも信頼され、多くの人に慕われたシャリー
・プトラーも、やがて死を迎えなければならない時がきました。

釈尊はパタリープトラ(現在のパトナ)からガンジス河を渡り、べッサリーに行かれそこに
あるベルツー村で雨期を過ごされました。このとき釈尊は、いよいよ涅槃が近いことを周り
の者達に告げられ、重い病気になります。暫くして元気になられた釈尊は祇園精舎にい
かれ、それからラジャグリハの竹林精舎に帰ってこられました。
シャリー・プトラーは、釈尊の入滅の近いことを天上界から教えられていました。
シャリー・プトラーが、自分に死ぬ時が近づいたのを感じたのは、釈尊が竹林精舎に帰っ
て来られたその時でした。そうして母のことを思います。
「老いたる母に私は十分親孝行してこなかった。最後に親孝行して自分が生まれた、その
部屋で死にたい」
このときシャリー・プトラーの母は、元気に故郷にいました。

シャリー・プトラーは、静かに釈尊の下にまいります。
「ブッダ、私の死ぬ時がいよいよ来たようです。どうぞ、私がナーランダに帰ることをおゆる
し下さい」
しかし、釈尊は何も言葉を発せられませんでした。このとき釈尊はシャリー・プトラーの心
をすべて知っていられました。知っていながら、それでも釈尊は何も話されませんでした。
それは釈迦教団創立以来、一番自分に尽くしてくれたシャリー・プトラーと、ここで今生の
別れをすることが忍びなかったからです。
シャリー・プトラーは三度申し上げると、やおら釈尊は口をひらかれます。
「シャリー・プトラーよ、御身はどうしてそんなに死を急ぐのか。御身はなぜここにとどまる
ことを望まないのか」
「ブッダよ、この頃、天上界の方々が私の前に現れて『釈尊は齢八十に向かわせられる、さ
れば涅槃に入る日も久しくはない』と教えられました。私はブッダが涅槃に入られるのを見
るに堪えません。そのうえ私は、いつかブッダから過去の諸仏の最高上座の弟子は、必ず
仏に先だって涅槃に入ると聞いたことがあります。ブッダよ、どうぞ、わが入涅槃をお許し下
さい」

釈尊はジッとシャリー・プトラーの言葉を聞いていられました。釈尊は自分の入滅を悟って
いながらも、最愛の弟子の死を悲しまれます。
「シャリー・プトラーよ、御身は先にいくのか。御身はよく入涅槃の時を知った、どこで死ぬ
つもりであるのか」
「まだ故郷に母が健在であります。その母のもとに帰り、私が生まれましたその部屋でと思
っております」
それを聞いた釈尊は、最後にシャリー・プトラーに言われた。
「それならそうするがよい。御身はわが弟子の中で並びなき者であった。比丘、比丘尼達の
ために最後の説法をするがよい」
多くの比丘、比丘尼達が集められシャリー・プトラーの最後の説法を聞きます。
「汝ら思うがよい。如来が世に出たまうこと稀である。信を得て如来の法を学ぶこともまた至
難である。この世は無常である。汝ら一心に道を修めて苦境をのがれよ」
シャリー・プトラーは話終わると、竹林精舎に帰り身の周りを整理して、鉢を持ってシャリー・
プトラーの一番下の弟、チェンダを従え竹林精舎をでます。多くの比丘、比丘尼達が途中ま
で従いました。

夕暮れ時にナーランダに着いたシャリー・プトラーは、自分の家に帰り生まれた部屋に入り
ます。仏典にはシャリー・プトラーのこの世の最後にあたり、母のため母が釈尊に帰依され
るために、ナーランダに帰ったと書かれてありますがそうではありません。
母シャリーは、自分の子供が釈尊の右腕として活躍していることを知っていました。また、
釈尊は度々ナーランダでシャリー・プトラーの求めに応じて説法もされ、シャリーも十分に
釈尊の教えも分かっていたのですが、夫はナーランダの村長でバラモンの指導者でもあり、
ナーランダの村民の中には釈尊の教えに従わない者もいました。ナーランダ村をまとめて
いくためには、シャリー・プトラーの母といえども、すべてを挙げて釈尊に帰依するというわ
けにはいかなかったのです。
シャリーは大きく成長した、わが子の死を、みとらなくてはならない立場に立たされたことを
悲しみます。そうして偉大なわが子を育てさせていただいたことを神に感謝します。
シャリー・プトラーの死を惜しむ人達が集まり、そんな中シャリー・プトラーは大勢の人々に
惜しまれつつ、この世を去ります。遺骸は火葬され七日間供養が続きました。
シャリー・プトラーを慕う人々が釈尊の許可を得て、シャリー・プトラーの火葬された後に、
壮麗な塔を建てました。

それから二百年後、アショカ王があまねく仏蹟を巡り、シャリー・プトラーの塔にも供養して、
次のような偈(げ)をもってシャリー・プトラー(サリープッタ)の徳を称えられました。


            我、サリープッタを礼し、
            もろもろの恐怖より解脱す
            その名、世にあまねく
            智慧、この世に等しきもの
            あることなし 
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# by gtskokoro | 2009-07-16 15:33
シャリー・プトラー⑤
祇園精舎が布施された時のことです。この祇園精舎を建てるにあたり、設計者に選ばれ
たのがシャリー・プトラーでした。
だがここで問題が起きます。釈迦教団が精舎を建てるということで、バラモン教の人々が
大反対を起こしたのです。この頃はまだ釈尊の名声も、祇園精舎を建てることになったコ
ーサラ国までは知られていませんでした。バラモンの人達にしてみれば、どこの馬の骨と
も分からない連中が、大きな精舎を建てるというのですから面白いはずがありません。

何度も話し合ったのですが、結局話がつかず論議で決着をつけることになりました。
当時のバラモン教徒は論議をこととしていました。この論議に負け自分の家も名声も失っ
てしまう者もいました。この頃のインドの宗教はバラモン教のみであり、法を説くというより
も、ほとんどは祈祷呪術宗教になっており、その方法によっていくつもの分派に分かれて
いました。当時、バラモンの遊行者同士の議論は珍しいことではなかったのですが、新た
に興った仏教と在来のバラモン教との公然とした論議は初めてのことであり、多くの人が
好奇心を持って集まりました。

論議は七日後と決まり、シャリー・プトラーは論議の日まで、釈尊から聞いた法を繰り返し
思い出し、瞑想して仏法により多くの人が救われていくことを念じていました。シャリー・プ
トラーは、相手の言葉や態度によって、心が動かされるということはまったくありませんで
した。相手が感情的に興奮すればするほど、ますます冷静に心を澄ませられる人でした。

いよいよ対決の日がきました。バラモンの代表者は「赤目バラモン」と呼ばれる人物です。
人と論議しているとその目の周りが赤くなり、底光りするその異様な眼に睨まれると、それ
だけで相手は委縮してビビってしまう、そんなところから「赤目バラモン」と呼ばれていまし
た。
当時、富と名声をほしいままにしていたバラモン教が、できたばかりの教団に負けるわけ
にはいきません。このような重大な論議の代表者に選ばれた赤目バラモンは、コーサラ
国きっての大物であり、過去何十人ものバラモンの修行者達を論破してきた猛者でした。
シャリー・プトラーも優れた人物として名は知られていたのですが、大バラモンとできたば
かりの宗教の一弟子とでは、余りにも格が違いすぎて相手にならないと思われていまし
た。しかし、勝負は一瞬で決まります。シャリー・プトラーと赤目バラモンが対峙し、お互い
眼と眼を合わせた瞬間、赤目バラモンはシャリー・プトラーの威光に打たれ、思わず眼を
伏せ、ついには頭を上げることができなくなってしまったのです。

丁度それは剣の達人同士が真剣勝負をするときに、お互いの眼を見ただけで相手の力量
が分かり、勝敗が決してしまうのと同じで、まことにあっけない勝負でした。ただ集まった群
衆が分かることといえば、シャリー・プトラーの体が大きく宇宙一杯に広がったように見える
のに対し、赤目バラモンの体は、それまでは大きく見えていたのに、小さく小さく見えてくる
ことでした。
群衆はひたすらシャリー・プトラーの威徳に感じ入り、このことによりシャリー・プトラーと
釈迦教団の名声はコーサラ国全土に広がり、この地に祇園精舎がつくられることになり、
仏教は北インド一帯に広がっていくことになりました。

また釈尊の弟子であり従兄弟でもあったダイバー・ダッタが、釈尊が自分を釈迦教団の後
継者に指名してくれなかったことに腹を立て、釈迦教団を割って独立の教団をつくろうとした
時のことです。
ダイバー・ダッタは、釈迦教団の新参の修行僧五百人をそそのかして、連れ出します。する
と、その一番最後にシャリー・プトラーがついていきます。ダイバー・ダッタは釈尊の弟子の
中で、筆頭であったシャリー・プトラーがついてきたということでいい気になり、シャリー・プト
ラーに説法をさせます。するとシャリー・プトラーはとうとうとダイバー・ダッタのことを褒め、
あまりに褒められるのでダイバー・ダッタは気持ち良くなり、眠くなって眠ってしまいます。
そのすきにシャリー・プトラーは五百人の弟子達を説得し、全員を連れ帰ったのでした。
シャリー・プトラーは常に釈尊とともにいて、釈尊の気持ちを一番理解し行動できる人物で
した。

ある人が釈尊に「ブッダが亡くなったとしたら誰が後継者となりますか」と聞くと、釈尊は「そ
れはシャリー・プトラーである」と答えられました。
シャリー・プトラーは、釈尊の教えをより分かりやすく多くの人に語りました。シャリー・プト
ラーがまとめた釈尊の教説は、三百~四百年伝えられ続けて、シャリー・プトラーは般若
心経、法華経、阿弥陀経など、ほとんどのお経に「舎利子」「舎利弗」の名で、書き記される
ようになり、シャリー・プトラーの存在は、後に仏教を知る人々に多大な功績を残したのであ
ります。
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# by gtskokoro | 2009-07-15 15:56
シャリー・プトラー④
釈尊の正法流布が積極的になり広がっていくと、釈迦教団に入門する入門者も次第に増
えていきました。ある時ウパテッサとコリータが釈尊に呼ばれます。
「同姓同名が多く、お前達自身心を新たにする意味もあって、このさい改名したらいいと
思うがどうか」と聞かれます。
ウパテッサもコリータも、前々から釈尊の弟子になることで心機一転し、名も変えて頑張っ
ていきたいと思っていたところだったので、ブッダにお任せしますということになりました。
すると釈尊は「ウパテッサよ、そなたの母はバラモンの妻として、よく衆生を供養し、よく夫
に仕え、よく子供を育てた。そなたの母はラジャグリハの町でも知られている賢母である。
その母の名をもらって、これからはシャリー・プトラーと呼んではどうか」と言われました。
母シャリーの族の者という意味です。
ウパテッサは釈尊が、自分の母のことまで知っていることに驚きましたが、ウパテッサに
異存はなく「はい、母のように慈愛にとんだお方の名前をいただき、母に負けないよう立派
な修行者になります。ブッダありがとうございます」とお礼を言って、釈尊の偉大さをまた
あらためて知るのでした。
一方コリータもモンガラナーと改名することになりました。

釈迦教団が発達していくと、釈尊にかわって大弟子達が説法をしました。しかし、その説法
はその大弟子達が、釈尊から受け取った範囲だけのものでありましたが、シャリー・プトラ
ーは釈尊の教えをそのままよく分かっていたので、釈尊の教えのすべてをより分かりやす
く、多くの衆生に説いたのです。
ある時、シャリー・プトラーの教えを聞いた比丘(男の修行者を比丘『ぴく』女の修行者を比
丘尼『ぴくに』といいます)が、釈尊のところへかけ込んで訴えました。
「シャリー・プトラーは、ブッダから聞いたこともない話をしています。けしからんことです」
釈尊は答えられます。
「そうではない。シャリー・プトラーは、私と同じ法界に自由に出入りできるのであるから、
シャリー・プトラーの言っていることは正しいのである」
仏典には次のように書き遺されています。

『釈尊は、シャリー・プトラーの智慧を驚嘆せられて、
「シャリー・プトラーは、聡慧、速慧、捷慧、利慧、広慧、深慧、出要慧、明達慧、弁才慧を
具えている。彼は実智を成就している。
それゆえに、われ略して四諦の理を説けば、シャリー・プトラーは広くこれを他のために説
きあらわす」また、
「智慧、きわまりなく、もろもろの疑いを決了するものはシャリー・プトラーである」
と申された』

シャリー・プトラーの智慧は、聡明で頭の回転が早く、いうことは秀でており、善悪利害の
判断が正しく、広く深くどこまで深いかその深さが分からない、そうして、必要に応じて相手
が聞きたいと思っていることを話し、神理に到達しているから矛盾がなく、話すことが次か
ら次へとでてきて話が途切れるということがない。因縁の法を簡単に略して説いても、シャ
リー・プトラーはすべてのことが分かっているため、それはどういうことであるのか、いろい
ろな体験を交えて日常生活に即した広い話をするから、聞いた人は皆ためになる。シャリー
・プトラーの智慧は際限がなく、どんな疑問でもシャリー・プトラーに聞くと、納得できるので
ある、と釈尊は言われました。

釈尊在世当時にも、統一された教団というものはありませんでした。それぞれの弟子達を
中心にした大小の支部(数人から数百人)があり、それぞれ独立して修行していました。
夏安居(げあんご)といって、毎年雨期になると弟子達は釈尊の下に集まり、新しく説法を
聞いて伝道先での質問、疑問をお互いに勉強しあいました。
釈尊はシャリー・プトラーのグループと行動を共にしていられました。ラジャグリハの東北に
霊鷲山(りょうじゅせん)がありますが、この一帯をグリドラクターといい、昔から死体の捨て
場所になっていて人々に恐れられ気味悪がられている場所でした。
日本では昔から東北は鬼門と言われていますが、その語源はここからきています。
シャリー・プトラーのグループは、この霊鷲山の洞窟で生活をしていました。霊鷲山にはた
くさんの洞窟があり、その中の一つで釈尊とシャリー・プトラーはともに寝起きをして、釈尊
は寝起きをしている洞窟の上で、瞑想をしたり人々を集めて説法をしたりしていたのです。

釈尊がなぜそのような場所を、わざわざ住処にしたかと言えば、死とは恐れるものではなく
神の定めなのである、人が死に肉体は腐ってウジがわいても、それは神の定めによって
そうなるのであり、その人の魂は神と一体であり仏と一体であり清らかなのである、という
ことを人々に知ってもらうため、敢えてそのような場所に住むことにされたのでした。

釈迦教団が大きくなるにつれ精舎が布施されることになります。竹林精舎、祇園精舎、鹿
母精舎、この精舎が布施された時も、シャリー・プトラーの活躍が伝えられています。
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# by gtskokoro | 2009-07-14 15:36
シャリー・プトラー③
ウパテッサとコリータは弟子達を連れ、釈尊のいる竹林精舎へと急ぎます。竹林精舎につ
いて二人が釈尊の前に進み出ると、釈尊は「あなたがウパテッサ、そちらがコリータですね。
よく訪ねて来られた。あなた方はいろいろ求められて来られた方ですね。師に巡り合えて
本当によかった」と労らわれます。
ウパテッサは質素な法衣と飾り気のない姿の中にも、どことなく威厳がある釈尊を一目見る
なり「ブッダー、私達をお弟子に加えてください。お導きをお願い致します」と、口走っていま
した。コリータも同じで釈尊を見た瞬間、遠い昔の師に、やっと巡り会えたような懐かしさに
おそわれ「ブッダー、お懐かしゅうございます」と叫び、泣き出してしまいました。初対面の者
がいきなり涙を流して懐かしがる、不思議な光景でした。しかし、ウパテッサもコリータも体
の中から揺れ動く、感激の鼓動をどうすることもできませんでした。

どうしてこういうことが起きるのでしょう?
釈尊のことを観自在菩薩とも言います。観自在とは人の現在・過去・未来やこの世界のす
べてを一瞬で見通せる力のことを言います。(観ること自在の菩薩=観自在菩薩)この観自
在の力をもたれた方は、身体から絶えず光を放っています。すると過去世で釈尊と縁の深
かった者は、この光によって心の奥に眠っている過去の記憶が表面意識に流れ出し、現在
の記憶を飛び越えて過去の記憶が甦ってきます。それでこのような現象が起きてくるので
すが、ウパテッサとコリータは特に釈尊との縁が深い方達でありました。

釈尊はウパテッサとコリータの現在のことはもちろん、過去世のこともすべて知っていられま
した。釈尊は竹林精舎にすべての弟子を集められ、次のように話されます。
「今から新しくブッダに帰依したサロモン(修行者)を紹介する。こちらのサロモンはウパテッサ
という者、その後ろに座している者はウパテッサの指導を受けている弟子達である。ウパテッ
サはやがて君達に法を説き、君達のよき指導者となるであろう。またウパテッサの隣に座し
ているサロモンはコリータといい、ウパテッサの小さい時からの修行仲間であり同士だ。ウパ
テッサ同様このコリータもやがて君達を導くだろう。この者達は今日からブッダに帰依し、法
に帰依し、教団に帰依したのである。諸君達もしっかり法を依りどころとして修行してほしい」
先輩が後輩を導くというのはどんな世界でもありますが、釈尊は今、帰依したばかりの新参
者二人が、古い弟子達を指導するようになると言います。釈尊の言葉を聞いて、早くから釈
尊に帰依した弟子達の間からざわめきが起きました。

今生だけを見ても、必ずしも先輩が後輩を生涯通じて導くとは限りません。年齢や先輩、後
輩にかかわらず魂の過去の遍歴によっては、先輩より後輩の方が魂の高い次元にあること
もあるのです。法の世界においては、魂の次元の高い者が指導者になることは当然であった
のですが、そのことが分からない多くの弟子達は、心に抵抗をつくり動揺する者も少なからず
いました。すべてを知っていられた釈尊はまた言われました。
「帰依したことの早い遅いによって、その者達の魂が偉大であるかどうか決めることはできな
い。そなた達はブッダの過去六仏のいずれかの縁によって、現世の弟子となったなのであ
る。しかし、ウパテッサもコリータもブッダの過去六仏の縁をことごとく体験した。ウパテッサも
コリータもブッダが前生で肉体を持ったとき、すでに菩薩としての悟りを得ていたのである。
今生だけの縁をもって、先輩、後輩と決めて不平不満をいだいてはならない」

釈尊はウパテッサとコリータを、過去六仏の縁をことごとくを体験したといわれました。釈尊は
過去六度この世に出世され、仏として法を説かれました。これは原始経典「テーラガータ」に
「過去六仏の踏みゆきし道をゴーダマ(釈尊)は行けり」と書かれてありますが、この六度この
世に出られて、法を説いていられる時すべてに一緒に出て釈尊に仕えたのが、ウパテッサと
コリータであり、この過去からの縁によりウパテッサとコリータは「釈尊常随の弟子」(しゃくそ
んじょうずいのでし)と呼ばれます。(釈尊は過去六度この世に出て法を説いたと言われてい
るのに、釈尊入滅後は、涅槃に入られた釈尊は、二度とこの世に出世されないと言われるよ
うになりました。ずいぶんおかしな話ですね)

最初は不平不満をもっていた古い弟子達も、釈尊の言葉を聞いて反省し、ウパテッサとコリー
タも、その過去世からの力を次第に発揮して、釈迦教団の中でグングン頭角を現していきま
す。ウパテッサの力をよく知っていられた釈尊は、次第に釈迦教団の統制をウパテッサに任さ
れるようになります。釈迦教団をウパテッサに任された釈尊は、法を説くことに専念されるよう
になり、釈尊が法を説くことに専念されると、釈尊の説かれる正法は急速に広がっていくこと
になるのです。
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# by gtskokoro | 2009-07-13 16:46
シャリー・プトラー②
ウパテッサには竹馬の友であり親友でもあった、コリータ(後のマハー・モンガラナー、大目
連)がいた。二人の出会いは次のようなことであった。

インド人はお祭りが好きで、日をきめて村々が集まり祭りの集会をしていました。ウパテッサ
の故郷でも、よくこのようなお祭りの集会が開かれ、皆楽しそうに踊り狂っていました。しかし
ウパテッサは、そのような祭りに参加することは破滅の道と教えられていたため、そんな祭
りには一切参加しませんでした。
しかし、わずか十六歳で天才の名を、ほしいままにしていたウパテッサといえども人の子で
す、他の十六、七歳の子らと同じように、祭りに参加して踊り狂ってみたいという、気持ちは
強く持っていました。その一方で、インド哲学の神髄に触れた理性は、それは破滅の道であ
る、ということを知ってその思いを否定しようとします。ウパテッサの青春は、その二つの思
いに揺れ動きます。楽しそうに踊り狂っている人がいる。自分もあんなに夢中になって、な
にもかも忘れて踊れたら、どんなに楽しいのであろうか、フッと気がつくと、いつしかウパテ
ッサもこの祭りの人となっていました。

踊り狂っている人達の真似をして、踊りの輪の中に入りふざけて踊ってみましたが、そうし
た途端ウパテッサの心はたちまち虚しくなり、激しい嫌悪感に襲われます。いたたまれなく
なったウパテッサは、踊り狂っている人の輪からはずれ、誰もいない森の中に入り、一本
の木の下に座りました。祭りの笑いさざめく声、太鼓や笛の音がかすかに聞こえてきます。

「人はいつしか死ぬのである。今、この山に集まって歌い踊っている人達も、あと百年もす
れば誰も生きている人はいない。あそこにいる人達は何のための人生なのか、死んだらど
こに行くのか、そんなことも考えないで、歌って踊って楽しんでいるが、それが人生にとっ
てどれほどの価値があるというのか。今はああして浮かれていても、この祭りが終われば
また人を憎んだり恨んだり愚痴ったりして、少しも進歩のない堕落の道を歩むのである。な
んと馬鹿な時間を過ごしていることか」

うかうか人の波にうかれて、祭りの輪の中に入ってしまったことが、悔やまれて仕方ありま
せんでした、もう二度とこんなことはしない、そう誓うウパテッサでありました。
我に返ったウパテッサが、後ろに人の気配を感じ振り返ってみると、自分とそう歳もかわら
ないと思われる青年が立っていました。名を聞くと「コリータ」だといい、ウパテッサが住む村
の隣の村に住んでいるとのことでした。
このコリータもウパテッサほど名は知られていませんでしたが、家柄もよく優れた人物でし
た。二人はその場に腰をおろし語り合ってみると、まったく同じ考えをもっていました。話して
いるうちにウパテッサとコリータは、なにか昔からの友であったような気がしてきて、その場
で親友となり一緒に学んでいくことを誓います。この誓いは生涯破られることは、ありませ
んでした。後に釈尊の弟子となった二人は、釈尊の二大弟子として一生をともに釈尊の下
で修行して行くことになったのです。

ウパテッサとコリータは同じアサンジャーの弟子でしたが、師の教えに満足することなく人
が本当に救われるのにはどうしたらいいのか、それを教えてくださる方を探し求め、もしどち
らかが、そのような人を見つけたならば、必ず連絡しあおうと約束していました。
ある時ウパテッサが、ラジャグリハの郊外で遊行中休憩をしていると、目の前を眼のきれい
な他のバラモンの修行者とはまったく雰囲気の違う、若い修行者が通りました。ウパテッサ
は、この方はもしかして仏陀ではないのかと思い、声をかけますが、その人は仏陀の弟子の
一人のアサジという人でありました。そのアサジから仏陀が出世されているということを聞き、
大急ぎでコリータのもとに走ります。

ウパテッサはコリータに仏陀が出世されていることを話し、会いに行くことを告げます。しかし、
コリータは「その人は本当の仏陀なのか?自称仏陀という人はたくさんいるからな」と、疑い
ます。しかし、弟子の雰囲気からして他の修行者とは違う、とウパテッサが必死で話すとコリ
ータも信じ、自分達の弟子達を連れて、仏陀に会いに行くことになります。
ウパテッサとコリータは釈尊と衝撃的な出会いを、これからすることになります。そして、この
二人が釈迦教団に入ることにより、釈迦教団も大きく運命がかわっていくことになったのです。
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# by gtskokoro | 2009-07-10 15:39
シャリー・プトラー①
シャリー・プトラー(サリープッタ)は、お経や仏典の中に舎利弗(しゃりほつ・シャリーの族
の者)、舎利子(しゃりし・シャリーの子)の名で、よく出てくる人物です。
インドで釈尊が正法を説いていられた当時、釈尊の右腕といわれていたのが、このシャリ
ー・プトラーでありますが、現在ではシャリー・プトラーよりも文殊や普賢、あるいは弥勒
菩薩という人の方が有名で、釈尊筆頭の弟子であったシャリー・プトラーは、あまり知ら
れていません。
しかし、釈尊が法を説いていられた時、釈尊が一番信頼し、後継者とも思っていたのが、
シャリー・プトラーであり、それは当時の釈尊の弟子達や他の人々も認めていました。

シャリー・プトラーは、中インドにあるマガタ国の首都、ラジャグリハ(王舎城・現在はラジ
ギールと呼ばれています)から西北に十五キロくらいのところにある、ナーランダという村
で生まれました。
父のテッサは非常に優れた高邁な見識をもち、母のシャリーもバラモンの教義に詳しく、
優れた資質をもたれた人でした。
テッサとシャリーは平和な生活を続けていましたが、ある晩シャリーは不思議な夢を見ま
す。その夢とは、鎧兜に身を固めた見たこともない異人が、手に金剛杵(こんごうしょ)を
持って、たくさんの高山や霊山を次々に踏破していきます。そうしてその中の一番高い霊
峰に立ったとみると、夢から目が覚めました。

この夢をシャリーは、夫のテッサにつぶさに語りました。妙に心に残る夢で、不思議な夢を
見るものと奇異に感じていたシャリーは、それから間もなくして妊娠します。すると、にわか
に心が広く澄み渡るように感じて、いかなる問題に対しても、思ったこともない言葉が次々
とでてきて、たちまち答えてしまいました。高邁で優れた見識を持つ夫のテッサでさえ舌を
巻くほどでした。そうして生まれた男の子を、シャリーはウパテッサと名づけます。このウ
パテッサが後年のシャリー・プトラーです。

ウパテッサの母のシャリーは、ウパテッサを受胎する前に見せられた不思議な夢によって、
ウパテッサを育てることに、大きな使命感を感じていました。特に受胎してから、シャリー自
身が大きく成長し変化したこともあって、この子は普通の子ではないと、特別心を砕いて育
てました。
母の思い通りウパテッサのすきとおった頭脳、素晴らしい才能は大人さえも舌を巻くほどで
した。博識な父と聡明怜悧な母の薫陶を受け、八歳から師につきインドの古典ヴェーダ、ウ
パニシャードを学び、膨大なヴェーダ聖典を暗誦し、各派の宗教哲学を研究し、十六歳にな
ると学識は師を超え、その名声は近隣に鳴り響きました。
ウパテッサは容貌、体格ともに優れ鼻も高く額は聡明さをあらわし、家も富み栄えていまし
た。父テッサ、母シャリーの名とともに、天才ウパテッサの名も、誰も知らない者はいません
でした。

この当時インドの宗教は沈滞して、ヴェーダの真意は失われ、祭祀をつかさどるバラモンだ
けが羽振りを効かせ、儀式のみが盛んで、その祭典の儀式には膨大な費用がかかり、本当
の人の救いである心と霊の救いを説く人はいませんでした。
ただ、その中にあって、それぞれ自分の信じたことを説く修行者がありました。それが六師外
道(ろくしげどう)と呼ばれた人達です。
ウパテッサは、その六師外道の一人である、アサンジャ(サンジャペーラチプッタ)の弟子に
なります。このアサンジャの教えは「ある」と思えばある「ない」と思えばない、という懐疑論で
す。たとえば「来世はあるか」とアサンジャに質問すると、「あなたはどう思うか」とアサンジャ
が言います。「私はあると思う」という人に対しては「あなたがあると思えばある」と答え、「な
い」という人には「あなたがないと思えばないのである」と答えます。
アサンジャは、このように曖昧な確定的でない返答ばかりしていたので「鰻のようにぬるぬる
していて捕らえ難い議論」と呼ばれます。

ウパテッサはアサンジャに弟子入りするまで、十分な素養と英才を身につけていたため、わ
ずか三日でアサンジャの教えが、みな分かってしまいます。そのためアサンジャの弟子二
百五十人の講師となり、バラモン教の教えを中心に、自分の得たものを伝えていました。
しかし、心の中にはいつも疑問があり、その疑問はバラモンの経典や他の外道達の教えを
学んでいても、晴れるものではありませんでした。
ウパテッサは自分も救われ、人も救われていく本当の道を探し続けていました。必ずどこか
に人が本当に救われる真の教えを説く、悟られた仏陀がいるはずであると、たえず師を求
め遊行していました。
この頃インドでは、近く仏陀が出世されるという予言が、遠くギリシャの方から伝わっていま
した。
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# by gtskokoro | 2009-07-09 15:40
あるプロ野球選手との出来事②
その年、その投手のいたチームはよい成績を上げ、私も長年そのチームのファンだった
ので嬉しかったのですが、あれほどの投球を見せてくれた、その投手に何をお返ししよう
かとズッーと考えていました。何か贈り物でもしようかな、とも考えましたが、なにせ相手
は年俸数億の選手です。私のような貧乏人が何か買って渡したとしても、さして嬉しくも
ないでしょう。それより何かもっとインパクトのあるものはないのか考えました。

そうこうしているうちに、翌年のシーズンが開幕し、その投手も開幕で投げたのですが、昨
年の疲れがあるのか、あまり調子がよくありませんでした。開幕前のオープン戦に投げた
時も連打され、あまり調子がよさそうには見えませんでした。
その調子の悪そうな(と勝手に私が思いこんだのですが)、その投手をみてピンときまし
た。
「よし、昨年のあのピッチングのお返しに、この投手の調子をもっと上げてやろう」
今考えれば、日本一の投手の調子を上げようというのですから、ものすごい発想です。
しかし、やれる自信はありました。なにせ仏陀の法を知っているのですから。そして、その
投手が次に投げる機会を待っていました。

その投手が投げそうな日を見計らい、三塁側内野席の同じ場所に座りました。予想通り今
日の先発は、その投手です。
最初の先発のマウンドに上がる前に、その投手は私のいることに気付き、こちらを見ていま
した。私は内心「よしよし」と思いながら、その試合を見ていました。
一回、二回は、さほどのピンチらしいピンチもなく試合が進んでいたのですが、三回にヒット
と味方野手がエラーして、ノーアウト一、二塁というピンチになりました。私は内心「チャン
ス」と思い、あることを繰り返ししゃべって(口パクで)いました。
その投手はランナーがいますので、セットポジションで構え、いやでもこちら(三塁側内野
席)に顔と体を向けなければなりません。その投手がランナーを見て、セットポジションで
構えていたとき、フッと私の顔を見ました。すると私は繰り返しあることを言っています。
その選手は、私が何かしゃべっているのに気づいた様子で、ジッとこちらの口元を凝視し
ていました。

すると急に顔色がかわり、マウンドから足を離し構えを解きます。あきらかに私の言ったこと
を理解したようでした。しかし、仮にも日本一のピッチャーといわれた投手です。プライドも高
いでしょうし、頑固なところもあると聞いています。私がしゃべったことを、この投手がやって
くれるかどうかは、分かりませんでした。
男は、一念岩をも通す、という頑固な部分もないと、大きな仕事もできません。だから、その
ような頑固な部分があってもよいと思いますが、仏陀の法の前では、そんなプライドも頑固
さも無用の長物でしかなく、そういう心をすべて捨てて素直に法に従うならば、そこに奇跡が
起きるのです。

少し、その投手は考えていましたが、おもむろにグラブからボールを出すと、そのボールを
ジッと見つめていました。どうやら、私の言ったことをしてくれたようです。私は一人でヨシヨ
シとうなずきながら、そのピンチを見守っていました。

その後不思議なことが起きます。ノーアウト一、二塁で次打者が送りバントをしたのですが、
それが、そのピッチャーの目の前に転がり、二塁ランナーが三塁ホースアウト、次打者はレ
フトフライ(もしランナーが三塁に進んでいたら、タッチアップで点が入っていたかもしれま
せん)、問題は次の打者です。
ツーアウト一、二塁でバッターのカウントがツースリーまでいきました。次の球がボールな
らフォアボールでツーアウト満塁(次打者は三番か四番の選手だったと思います)で大ピン
チとなり、ストライクなら三振でチェンジということになります。次の一球がストライクかボー
ルかでずいぶん結果が違ってきます。
その投手が、最後のボールを投げました。私もそのボールを三塁側内野席からドキドキし
ながら見ていたのですが、あきらかに低かったのです。普通、内野席からボールを見てい
てもコースがよくわからないので、ストライクかボールかはっきりしません。ところが、その
ボールは内野席から見ていても分かるくらい低いボールだったのです。
しかし「あっ、ボールだ」と私が思った瞬間、審判がストライクのコールをしたのです。
「えっ」と私は思いました。「今のボール完全に低くないか」と私が思っていると、相手チーム
の監督が大きなゼスチャーをしながら、カンカンででてきます。コーチや選手もでてきて大
騒ぎになりましたが、ストライクの判定がボールにくつがえるはずもなく、相手チームの監督
や選手達はシブシブ引き上げました。このストライクの判定でチェンジとなり、その投手はピ
ンチを無失点で切り抜けたのです。不思議な判定でした、その時に限って審判がボールを
ストライクとミスジャッジしたのです。(誤解がないように言っておきますが、私にはそう見え
たというだけで、実際はストライクだったのでしょう。しかし、きわどいボールだったのはたし
かなようで、だから相手チームの監督やらコーチやらがでてきて大騒ぎになったのです)
法を知ると、こういう不思議なことが起きるのです。

こういう幸運を、たまたまとか偶然そうなったとか思っていると、よい運はめぐってこなくなりま
す。この世に偶然などありません。よい結果がでたのならよい原因をつくったから、よい結果
がでたのであり、悪い結果がでたのなら悪い原因をつくったから、悪い結果がでるのです。

この投手は、そのことがよく分かっていたようで、この試合から、この投手は二十何イニング
か無失点を続け、このシーズン、ダントツの防御率(規定投球回数に少し足らなかったので
タイトルはとれませんでしたが)をほこり、最後まで調子が落ちなかったのです。
私は、この投手に、たった一言アドバイスを送っただけでした。たった一言でも仏陀の法を知
るならば、それなりによい結果がでるのです。もちろん、この投手に実力があったのは事実
です。しかし、その実力だけで、よい結果がでるとは限りません。よい原因(仏陀の法)をつく
ったから、よい結果がでたのです。
この投手は現在は海外のチームで投げていますが、頑張ってほしいといつも思っています。

このように仏陀の法を知ると、不思議な結果を得て、不思議な現象がでるということを知って
ください。ただし、中途半端に仏陀の法を知り、そのままでいると、おかしな結果がでること
があります。そのような人は、もっとしっかり法を知れという警告ですので、ちゃんと勉強しな
いと大変なことになります。
いずれにしても一人でも多くの人が、仏陀の法を知り、この投手のような不思議な現象を
体験していただきたいと思っています。
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# by gtskokoro | 2009-07-07 17:09
あるプロ野球選手との出来事①
2~3日前、久しぶりに野球を見に行きました。去年、一昨年はよく見に行ったのですが、今
年は行っていません。もうあまり見に行くこともないだろうと思いながら見ていましたが、フッ
とある選手のことを思い出しました。
これから書くことは、その選手に直接聞いたわけでもなく、私の勝手な思いこみかもしれま
せんので、フィクションだと思ってください。

そのプロ野球選手は、メンタルアドバイスにでてくる選手と同じチームの投手でした。その
投手はそのチームのエースとして十年間活躍してきました。数々のタイトルを取り、数年前
までは日本一の投手ともいわれていました。
その投手も、私が球場に試合を見に行くと、よく私の方を見ていました。(そのチームのほと
んどの選手が、私が球場に行くとこちらを見ていましたので、多分メンタルアドバイスにでて
くる選手が、私のことをみんなに話したのでしょう)

その投手が、一昨年の終盤の大事な試合に先発した時のことです。
その試合は大事な一戦だったので、私も見に行っていました。私は大体決まった席に座る
のですが(三塁側内野席です)、その試合もその席で見ていました。目の前にその投手が
見えます。
その大事な一戦に、その投手はすごい気合で投げていました。その気合がこちらにも伝わ
ってくるようでした。そして内容もまたすごかったのですが、とにかく最初から三振狙いでバ
ンバン投げ、三振の山を築いていました。初回から三振ばかり取るので、周りのファンはも
う大騒ぎです。この投手は数年前までは、豪速球をガンガン投げて完投する力投型の投手
でしたが、ここ数年は、ここぞという場面にだけ速球を投げる、軟投派にかわっていました。
それが今日の投球は、昔のようなというか、それ以上のピッチングです。

「すごいなぁ」と思ってみていると、あることに気付きました。
今日の私の席は三塁側内野席です。この投手は右利きで、ノーワインドアップで投げるの
で、一度体を三塁側に向けないと投げれません。投げる前にかならず一度、三塁側に体を
向けるのです。すると私からは、この投手が正面に見えます。この投手からも多くのファン
が、この投手を見守る中に、私が見えていたはずです。

「あれっ」と思ったのですが、よく見ていると、この投手はツーストライクをとると、必ず一度
私を見てから投げているのです。最初は気のせいかと思ったのですが、次の打者の時も
その次の打者の時も、同じことをしています。
はじめは「何で毎回こっち見てんだろ」と不思議でしたが、そのうちに、どうも三振をとるとこ
ろを私に見せてくれてるようで、これは真剣に見ていないと悪いかなと思えてきました。
普通なら、このチームの攻撃の時は真剣に見て、守りの時は何か買いに行ったり、トイレ
に行ったりするのですが、今日は逆です。この投手が投げてる時は席をはずせません。

しかし、この日のこの投手のピッチングはすごかったのです。とにかくストライクを投げるの
です。当たり前と思われるかもしれませんが、そうではありません。
この試合は、最初から何度も言っていますが、大事な一戦でした。普通ならボールを混ぜ
て、もう少し慎重にピッチングを組みたてながら、投げてしかるべきでしょう。いくら私が野球
は素人とはいえ、長年プロ野球は見ています。それぐらいは多少野球を見ている人なら、
誰でも分かります。
ところが、この投手、一球もボールを投げようとしないのです。それは、審判がボールと判
定すると、その投手と捕手まで「えっ」という態度をとるので、その事実が分かります。
今日この投手は、相手のチームのすべての打者に対して三球三振を狙って投げていました。
まるでマンガの世界のような話ですが、それを、この投手はやろうとしていたのです。少なく
とも、私にはそう見えました。

私は半ばあきれ、しかし、こんなピッチングをしているピッチャーもピッチャーなら、それをさし
ているキャッチャーもキャッチャーだなとも思い、それに、ベンチの監督やコーチも何も言わ
ないのか、不思議でなりませんでした。しかし、意気に燃えているピッチャーに対し、ゴチャ
ゴチャこちらが気を使って考えるのは失礼な話です。
もうくだらない考えはやめて、その投手のピッチングを心から、楽しむことにしました。その投
手は七回まで投げ、九三振を奪う力投を見せ、結局交代するまでツーストライクを取ると私
の方を見てから投げるという、投球を続けました。なにか、この投手に三振ショーを見せても
らえたようで、心から楽しめました。そして、これほどの投球をしたこの投手に感心し、心から
感謝したのです。

よく皆さんは感謝しますという言葉を使われますが、感謝するということは、感謝しますと口で
言うだけとか心で思うだけでは、感謝したことにはなりません。本当に感謝するとは、感謝の
心と報恩の行為、この二つがそろってはじめて感謝したことになります。
私は、一生忘れることができない試合を見せてくれたこの投手に、感謝するのと同時に、何か
お返しができないかと考えました。
そしてあることを思いついたのです。
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# by gtskokoro | 2009-07-06 15:58
富者の万灯より貧者の一灯
あるときマガダ国の王が家来にむかって「釈尊は、よい政治を行うには、国王はこうあらね
ばならぬということを指導してくださった。お陰で闇夜に光明を得たようで道が開かれた。
そのお礼に何か布施したいが何がよかろう」と聞かれた。
色々と思案した末に、その家来は「王様、王様が今申されました、闇夜に光明を得たるが
ごとくの、おおせの通り、この国が光り輝くことになりますよう、道路に灯明をともして、今一
度世尊にお出ましを願い、ご法話を拝聴させていただいたらいかがでしょうか」と答えた。

このマガダ国王の住む宮廷は、釈尊がいられる竹林精舎から少し離れた所にありました。
「しかし、ここから竹林精舎までは、かなりの道のりではないか」と王が言うと「釈尊に帰依
する者達に呼びかけて、献灯してもらったらいかがでしょうか」と家来が答え、献灯の志を
つのることになりました。
すると多くの人が、それぞれ分に応じて十灯、二十灯と献灯し、お金持ちは功徳を積ませて
もらいたいと、百灯、千灯と献灯され、たくさんの灯明が集まりました。
この話は、遠くコーサラ国にも聞こえ、祇園精舎を寄進したスダッタ長者は一万灯を献じま
した。それを聞いたマガダ王は、スダッタ長者が一万灯献じたのならと三万灯を献じ、たくさ
んの灯明が準備されていったのです。

このマガダ国に一人の貧乏な乙女がいました。この乙女の名はスジャータといい、おおよそ
この世にこれ以上貧乏な家はないだろうと思われるほどの、貧乏な家に育ちました。けれど
も仏様の尊さを誰よりも知っていたスジャータは、献灯の話を聞き喜びました。
「なにか布施したいと前から思っていたが、やっと自分達にも布施できる機会が与えられた。
こんなありがたいことは、もう二度とないかもしれない。せめて一灯なりとも献じて、み仏のお
み足をお照らししたい」
そう思ったスジャータは、それから一生懸命働きます。しかし、家には病んだ母がいて一文も
余計なお金はでてきません。だんだん献灯の日は近づいてきますが、とても一灯を献ずるお
金などできそうにありませんでした。どうしたらよいだろうと思うと、ただ泣けるだけでした。

いよいよ釈尊が、王宮にお出ましになられるという日、スジャータは思い切って長い黒髪をプ
ッツリ根元から切り、油に換えに行きます。昔の日本もそうでしたが、インドでも黒髪を切ると
いうことは、女として生きること、女としての幸せをあきらめるということを意味していました。
黒髪を切って坊主になった頭を布で包み、この黒髪を油に換えてほしいとスジャータが油屋
の主人にいうと、油屋の主人は驚き、「みればたいそう困っていなさるようだが、なんだって
髪の毛まで切って油を買いなさる」と聞きます。スジャータは「人は生きてさえいれば、何とか
食べていけます。今まで貧乏で、み仏様に対して何一つ布施することができませんでしたが
、このたび王様の思し召しにより、献灯の機会を与えられました。せめて心ばかりの一灯を
捧げたいと思います」と答えます。
それを聞いた油屋の主人はスジャータの純粋な心に感激し、油をたくさんまけてくれました。

その油を入れた灯明を持ちスジャータはお城に走ります。城ではもう釈尊の説法が始まって
いました。
「どこの隅でも結構でございます。この一灯を献じたいのですが……」
係の武士に頼みますが、スジャータのみすぼらしいかっこうを見た、係の武士達は、
「ここはお前のような者がくるところではない」「なんだ今頃たった一灯か」「そんな、少しばか
りの油では半夜もともせまい」「ぐずぐずしてると釈尊がお通りになる、邪魔だからどいた、ど
いた」と口々に罵ります。
スジャータは泣き出しそうな気持になり、今度は竹林精舎の方に走ります。すでに日も暮
れ献灯に火がともされ、道は燦然と輝いています。

竹林精舎の入り口のところまで駆け付けたスジャータは、そこにいた人に一心に叫びました。
「お願いでございます。どうかこの灯を献じさせてくださいませ」
そこにいた人は祇園精舎を寄進したスダッタ長者でした。事情を聴いたスダッタ長者は、「そ
ういう一灯こそ尊いのです。きっと釈尊も喜んでお受けになります。真心のこもった灯(ともし
び)ですから、一番高い所につるしましょう。もうすぐ釈尊がお帰りになります」と言われます。
それを聞いたスジャータは、せめて一目だけでも釈尊を拝しようと、スダッタ長者の足下にう
ずくまっていました。それを見た町の人々は「あの貧乏な小娘が……」と、口々に小さく罵り
ます。

いづらくなったスジャータは、自分の献じた灯が消えたら帰ろうと思い、うずくまって自分の
献じた灯をじっと見つめていました。スジャータの眼には涙があふれていました。
すると不思議なことが起きます。他のほとんどの灯明の灯は消えたのに、半夜ももたない
といわれていたスジャータの灯は、こうこうと輝いています。少し強い風が吹いて他の灯明
はすべて消えましたが、まだスジャータの灯だけは消えず輝いていました。

すべてを見通していられた釈尊は、弟子の大目蓮に「大目蓮よ、あの灯は夜が明けるまで
消えずに燃え続けるであろう」と言われ、釈尊がいわれたとおりスジャータの灯は、強い風
が吹き、吹き消されるであろうとおもうと、なお一層燃え上がるのでした。
釈尊はスジャータを近くにお召しになり、スジャータの過去世の話をして「しかし、今生では
心からの一灯を捧げた。これから後は自ずと幸いを得るであろう」といわれました。

マガダ王は、貧しい一乙女が釈尊に褒められたと聞いて、あまり面白くありませんでした。
自分は万灯を献じたのに、釈尊から一言の喜びの言葉ももらえなかったからです。
それを家来にいうと「王様、あの娘の捧げた献灯はわずかでしたが真心がこもっておりま
す。王様が献じられたものは、どれだけたくさんの万灯とはいえ、国民から納めさせた税
金ではありませんか。王様がされた献灯には、これだけのことをしたという驕慢の心が含
まれております。釈尊に捧げた、あの乙女の真心はまことに純粋であります。自分の髪の
毛を売ってまで油を買ったのです。王様は自分のなにを売って献灯されたというのでしょう
か」「いやよくわかった。あの娘はよいことを教えてくれた。あの母子を引き取って世話をし
てやりたい」
王はスジャータの純粋な真心を知って反省し、スジャータ母子の面倒をみることにしたの
です。

その後、スジャータは釈尊がいわれたとおり、幸せな生活をしていくことになりますが、「貧
者の一灯」という言葉は、ここから生まれました。現在の日本の宗教団体は、富者の万灯
だけを求め金額ばかりを気にしているところが、多いようです。また献金する側もお金をい
くらか出せば、何か御蔭があると現世利益を求めます。
布施をする方ももらう方も、その心を観るならば欲望丸出しの心ということになります。そん
な欲望丸出しの心を神が観て、願いをきいてくれるのでしょうか?お返しを当てにしてする
布施など、布施ではなくただの取引です。

よい話を聞いた、あるいはよいことをしてもらえて助かった、そのように感じた時、お返しの
布施の行為は尊く自分の徳にもなります。ただし、それはスジャータのように純粋な心で
布施した時だけです。布施することにより、布施した人に好かれたいとか何か御蔭がほし
いとか、思ってする布施ならやらない方がましです。
しかし、この世の金ばかりを積んだところで、死んで持って行けるわけではありませんので、
あまり意味がありません。人は徳を積むことこそ大事なことであり、後々救われていくことに
なります。
純粋に無償の心でした布施だけ自分の徳になり、そして、天に宝を積むことにもなるのです。
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# by gtskokoro | 2009-07-02 17:19
王妃茉莉花
釈尊の時代の女性達は、魅力的な女性が多かったようですが、今日ここに書く女性も
やはり聡明で魅力的な人でした。

釈尊が一番長くいた精舎が祇園精舎ですが、その祇園精舎があるコーサラ国にマツリカ
という王妃がいました。マツリカは奴隷の身分でありましたが、それが一国の王妃にまで
なったのには次のようなことがあったからでした。

ある大金持ちのバラモンの召使の一人にカピラーという女がいました。このカピラーはジ
ャズミンの花園の手入れをしている女で、顔かたちは醜かったのですが、心がきれいな女
でした。
ある朝カピラーが、弁当をもって花園へ行く途中、祇園精舎から出てこられた釈尊を見て、
自分の食べる弁当を布施しました。(当時のインドは修行者を見ると布施するのが習わし
のようになっていました)そして、腹は減っていても、布施した喜びの心いっぱいで花園で
仕事をしていたのです。

ちょうどその日、コーサラ国王のパセナディ王は多くの兵士をつれ、狩りに出ていたのです
が、獲物を追っているうちに兵達と離れ離れになり、王は暑さと疲れでどこかで一休みしよ
うと、近くにあったジャズミンの花園の中に入って行きました。
花園の中に入ってきた国王は、兵士を一人もつれていませんので、それが一国の王とは
誰も思いません。カピラーも入ってきた人が、身なりからして身分の高い人だとは思いまし
たが、まさか国王とは思いもしませんでした。
カピラーは国王に「さあ、どうぞ」と、自分の着ていた着物を一枚ぬいで下に敷き、その上に
座らせ、尋ねました。
「足をお洗いになりますか」
王がそうしてほしいというので、カピラーは蓮の葉に水を入れてきて王の足を洗いました。
「顔をお洗いになりますか」
「水をお飲みになりますか」
そうして「少し横になられませんか」といい、自分の着ていた着物をもう一枚ぬいで、王を横
にならせ、足をもみ身体のふしぶしをさすって、疲れをいやします。疲れていた王は本当に
気持ちがよく、自分が何も言わないのに、自分の思い通りに世話をしてくれる、この女の賢
さに感心しました。
またカピラーもお腹は減っていましたが、自分のする行為を心の底から喜んでくれる国王
を見て、自分も嬉しかったのです。
いつの時代でも、何も言わなくても先に先にと心をつくして、男のためにしてくれる女には、
男は弱いようで、このあとカピラーが奴隷の女と分かっても、国王は周りの反対を押し切っ
て、カピラーを妃として迎えます。
カピラーは宮中に入ると、さまざまな学芸を習い、書や画や歌や舞など、何一つできないも
のはないようになり、天性の心の素晴らしさにさらに磨きがかかり、宮中の女達からも尊敬
され、王の第一夫人となります。そして、王と出会った花園にちなんで心の美しい香りのす
る女性という意味で「マツリカ」と呼ばれることになります。茉莉花とはジャズミンの花のこと
です。

今、このようなことを女性に求めると、それは男のわがままだと叱られそうですが、少々顔が
悪くとも、よく気がついて心根のやさしい女には、どんな男も惚れるようです。それに、心が
やさしければ、それが顔の表情にもでて、かわいく見えてくるものですが、逆の人も多いよう
です。

この前テレビで、ある女性のスポーツ選手を久しぶりに見たのですが、ずいぶん顔がきつく
なっているのには驚きました。その選手は日本で活躍しアメリカに渡ったのですが、日本に
いるときは、ずいぶん活躍しましたが、アメリカにわたってからは、活躍しているというところ
までは、いっていないようです。
アメリカでの気苦労もいろいろあるのでしょうが、あれではかわいい顔も台無しですね。
勝負の世界は厳しいといわれるかもしれませんが、何べんもいいますが、勝ちたいとか、負
けず嫌いの心を持つより、調和する心を持つ方が、よほどよい結果が出るのです。(それは
あるチームが最近急に勝ちだしたということでも、その事実が分かります)それに、心の在り
方は顔にでます。勝ちたい勝ちたいという心が常に心にあるなら、顔がきつくなるのも当然と
言えば当然です。逆に調和する心が顔にでてきても、それは、笑顔とかやさしい表情にしか
なりませんので、周りの人も和らいで、よけいによい結果がでてくるということになります。

女性のスポーツ選手など特にそうですが、自分が勝ちたい勝ちたいばかりで、それが顔に
でて必死の形相でやっている人がいますが、見ていてこちらが辛くなります。もう少し笑顔
でやれないものでしょうか。その方がよほどかわいらしく見えます。などといえば、選手は勝
つために必死でやっているのに、まじめにやれといわれそうですが、とんでもありません。
いたってまじめに言っています。

一つの試合があると、その試合の参加者は皆優勝したいと思っています。ということは自分
が優勝できなければ、他の誰かが優勝するということになります。
それでいいのです。私は昨日も書きましたが、人の幸福を我がことのように喜ぶ、そのような
心をもつと、結局それがまた自分に返ってきます。考えてみてください、その優勝した選手も
同じように、悩み、苦しみ過酷な練習に耐え、優勝しているのです。その苦しみを自分は知っ
ているのです。ならば、その苦しみを乗り越えて優勝できた喜びも、自分は知っているはず
です。それを自分だけのものとせず、他の人にも分け与える、これが調和する心です。
このような大調和する心がでてまいりますと、その心に比例した奇跡が起きてきます。自分
の心が広がれば広がるほど、自分によい結果がでてくるということです。
よい結果をだしたいなら、自分ばかり勝ちたいという小さな心は捨て、調和することです。

いずれにしても、自分が勝つことばかり考えている女を、男はなかなか好きにならないでしょ
う。やはり、顔は少々悪くてもマツリカのように、思いやりがあって、聡明で魅力的な女性に男
は憧れます。どのような仕事をしていても結構ですが、マツリカのような女性が増えていって
くれることを、男は願っています。
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# by gtskokoro | 2009-07-01 17:14
男と女
前にこのブログに書きましたが、国際グラフという雑誌の7月号に、私と元巨人でピッチ
ャーをされていた角さんとの対談が載るのですが、その雑誌が今日届きました。
中を見てみると、色々な経営者の方が紹介されているのですが、ずいぶん女性の経営
者の方もいるのだなと思いました。

昨今はジェンダーフリーだ、男女同権だ、男女平等だ、などと騒がれて女性も強くなった
といわれますが、神は、男と女を姿かたちや性格を違うようにつくられています。最近は
姿やかたちや性格も男か女か分からないような人も増えていますが、男女同権や男女
平等なら、なぜ神は男女を同じようにつくられなかったのでしょうか?同権や平等なら男
ばかりとか女ばかりとか、あるいは男女両性の人間でもつくられればよかったのに、な
ぜ神は、人を男と女、別々につくられたのでしょう。
最近は女性が強くなったといわれますが、釈尊が女の道について話されたことがありま
す。釈尊が語った女の道と最近の女性とどう違うか、みてみましょう。
それはぺシャキヤという大富豪の娘で、釈迦教団にミガラー・マター(鹿母精舎)という
精舎を寄進された方です。
このぺシャキヤが、ある時釈尊に女の道について質問されます。釈尊は次のように答え
られました。
園頭広周著「仏陀をめぐる女性たち」より抜粋

<ぺシャキヤよ、そなたは女でありながら、多くの使用人に慈悲の心で接している。
お互いに心が通じ合い、むさぼることなく、ぐちることなく、正しく仕事をしているようだ。
多くの女性の中には、何事にもすぐ腹を立て、気まぐれで足ることを知らない欲深い者であ
っても、困った人、苦しんでいる人々に対しては、施しをしなければならないということを知っ
ている者がいる。
また、丸く豊かで、怒ることもなく、常に心を正し、一切に足ることを知ってはいるが、苦しい
者、悩める者を見てもいささかの慈悲の心も起こさずに、人々に与えない者もいる。
そうかと思うと、心が豊かで広い心を持ち、心の中に怒りもなく、足ることを知って欲望もな
く、そうして他人の幸福を喜び、苦しい人、困った人に慈悲の心をもって奉仕している者もあ
る。
この三者のうち、誰が正法にかなった生き方としているかというと、それは最後の女性であ
る。法を心の糧として生活している女性は、よく儀我を捨て、一切の執着から離れ、安らぎ
の心の中に住んでいる。
男女は平等であっても、その働きは剛と柔であり、その調和が大事である。
女は家庭にあって、家庭を光明によって満たす大事な役割を果たさなくてはならない。
男女は平等であるといっても、肉体的には平等ではない。
女性は結婚して他家にゆけば、やがて子供が生まれる。妻は家にあって子供を守り育てて
ゆく。良い子を育てるには、夫婦の信頼と対話が一番大事である。互いに相助け、相譲り、心
の豊かな健康な子供を育てていかなければならない。
このような家庭が多くなればなるほど、他に調和が促進されていく。
嫁に行けばそこには夫の両親がいる。孝養をつくさなければならない。どんな理由があって
も、自分の心の中に怒りや愚痴や恨みの種を蒔くことなく、忍辱の二字を心得て、いつも明る
く、豊かな生活をするようにすることである。
男は外に仕事に出かけなけらばならない。家庭を明るくするかどうかは、女の心がけ一つで
ある。
心の中の苦悩というものは、人がつくるのではない。自分がつくりだすものである。
自分に都合が悪いからといって、自分の心の中に怒りやねたみ、恨みの心を持つと、その心
の渦の中に自分が巻き込まれてしまって、やがて調和を忘れ、ついには争いとなり、破壊へ
とつながっていく。
それゆえ、家庭に対立があってはならない。女はよく夫の仕事を理解し、それを助け、そうし
て自らも知識見聞を広め、教養を高めてゆくようにするのが女の道である。>

このぺシャキヤという女性は、今でいうキャリアウーマンでした。聡明で男のように積極的に
ものを考え、計画し実行力もあり、容姿も知性と気品にあふれていました。
これだけ仕事ができて大富豪ということであるなら、大抵はわがままになり、男を見下す心が
でてきますが、ぺシャキヤはいつも冷静で、大勢の召使たちにもやさしく、物静かで控えめな
態度には、いっぱいの敬虔さと謙虚さがあふれていました。
それほどの女性でも、なお釈尊に正しい女の在り方をきき、心の向上を目指していました。
当時の女性の純粋さレベルの高さがうかがえます。

現代の女性は、仕事ができる人はたくさんいますが、ぺシャキヤのような女性や釈尊がいわ
れたような女性が、はたしてどれくらいいるのでしょう?それほど私は、多くの女性と付き合っ
たことがありませんので分かりませんが、最近は癒し系の女性より、癒し系の男性の方が多
いように感じます。(それもどうかと思いますが)

男女は人の生命ということに関して言えば、たしかに平等です。しかし、釈尊の言葉にありま
すように、肉体的には平等にできていません。そのようにつくられているのであれば、やはり、
男には男の役割があり、女には女の役割があります。それを無視した足して二で割ったよう
な平等論はやはりおかしいのではないでしょうか。
男は男で生れた以上、男としてやることがあるでしょうし、女は女として生まれた以上女として
やることがあります。それをごちゃまぜにしてしまった所に、今日の混乱があると思います。
仏陀の法には、男には男としての在り方、女には女としての在り方が述べられています。
古い新しいではなく、何が正しいのか?それを知って下さい。
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# by gtskokoro | 2009-06-30 16:49
宇宙即我(うちゅうそくわれ)
宇宙即我とは悟りの境地をいいます。これまでは悟りの境地といえば、無の境地である、
とか無我の境地である、とかいわれてきましたが、そう言い続きてきた名僧、高僧、宗教
家の方々が、悟りの意味も悟りの境地も実は分かっていなかった、ということが高橋信次
先生の出現により、明らかになりました。
悟りとは、無の境地だの無我の境地(こういう境地をはっきり説明できる人がいるのか疑
問ですが)だのという、意味の分からないものではなく、具体的に本に書かれたのは、高
橋先生が、はじめてのことでした。
高橋先生の著書で、ゴーダマ・ブッダ(釈尊)のことを書いていられる「人間・釈迦」より、
悟りの部分の書かれたところを抜粋してみます。

<反省の瞑想は、静まりかえったウルヴェラの森と同じように、時の過ぎるのを知らなか
った。
瞑想を解き、眼をあけると、もう東の空が白みかかっていた。一夜は何事もなく、一瞬のう
ちに通りすぎていった。
が、再びまぶたを閉じ、瞑想に入ろうとして、ふと、自分に気付くと、座している己の体が、
次第に大きくなっているのであった。ゴーダマを雨露から守っていたピパラの大木を抜け
て、ガヤ・ダナが眼下に見えてくるのであった。
ゴーダマの意識は刻々と拡大していった。地球が次第に遠のいていく。単に遠のいていく
というのではなく、その地上が身近に感じながら、遠のいていくのであった。いうなれば距
離の遠近ではなく、現実の拡大なのである。己の意識が地上から離れていきながら、それ
でいてピパラの木も、ウルヴェラも、ガヤ・ダナも、現実の感覚と少しも変わらず、スグ眼の
前にあるという感じなのである。
意識の拡大はテンポを早めた。
暁の明星が足下に見えた。もう一人のゴーダマは小さな粒のように、はるか下方に座して
いた。
ゴーダマは、宇宙大にひろがり、宇宙が自分の意識の中に入っていくのだった。
全ヨジャーナー(三千大世界)が美しい星とともに、ゴーダマの眼前に、くりひろげられてい
るのであった。
何もかも美しい。生命の躍動が、手に取るように感じられてくる。あの森も、あの河も、町も、
地球も、明星も、天体の星々も、神の偉大なる意思の下に、息づいている。まるで光明に
満ちた大パノラマを見ているようであった。見ているようでいながら、ゴーダマの肌に、生き
とし生けるものの呼吸が、ジカに感じられてくる。大パノラマは、そのままゴーダマの意識の
なかで、動いているのであった。
遂に、悟りをひらいた。
三十六年間につくり出した不調和な暗い心、想念の曇りが、この瞬間において、光明と化し
たのであった。
ゴーダマは念願を果たした。大宇宙の意識と同体となったのであった。
大宇宙の意識と同体となると、森羅万象の生い立ち、宇宙と人間、神の存在、人間の在り
方、魂の転生輪廻などが、一瞬のうちに、明らかになるのであった。>

霊の存在を認めないと、この悟りの境地は分かりませんが、心に曇りがなくなると肉体で
はなく、霊体(もう一人の自分であり、この世の死とはこの霊体が肉体と離れることをいい
ます)が拡大をはじめます。すると宇宙が自分の中に入り地球が足下に見えます。この
ような境地になりますと、大宇宙の星々から地球に存在しているすべてのものが、神の光
に包まれ、生命が宿っているということがジカに感じられ、光明に満ちた大パノラマが眼前
に繰り広げられます。すると神の存在、森羅万象、人間の在り方、魂の輪廻転生などが、
一瞬で理解されます。このような境地を悟りの境地といいます。

無の境地や無我の境地とはずいぶん違いますが、この宇宙即我の境地は何も高橋先生
がはじめてなられた、ということではなく、ずーと、ずーと大昔の話ですが、過去の日本に
生まれた方で、同じ境地になられた方がいたようです。
ちゃんとした記録があるわけではありませんが、私の師であった園頭先生が読まれた「天
之御柱伝」という本の中に、「正座して背筋を伸ばして真直ぐに座る。座っている両膝の間
から下を見ると、はるか下に地球が小さくくるくる回転している。………すると、神の呼吸と
自分の呼吸とが一体となる。」ということが書かれてあり、これは自分が体験した(園頭先
生も宇宙即我を体験しております)境地と同じだと、直感されたそうです。

昔からいわれている悟りの境地とは「宇宙即我」の境地のことをいいます。
仏陀の法を知るならば、いつか分かりませんが、この宇宙即我の境地に到達することに
なります。しかし、私達すべての人間は、この宇宙即我の境地に到達するため生まれてき
ているのです。異論のある人もいるでしょうが、生まれ変わり、死に変わりしているうちに、
異論のある方も、やがてそれが分かるようになっていきます。
宇宙即我の境地とは我々すべての人間が、最終的に辿り着かなければならない、究極の
境地なのです。

6月25日の仏陀が亡くなられた日のことを、深く知っていただいた、あなたにいっておきま
す。よい結果がでたこと心より祝福致します。あなたは今のように、謙虚で素直な心を忘れ
ず、仏陀の法を知られるならば、あなたは偉大な記録を残すことになります。どうぞ、これ
からも今の心を忘れず精進していっていただきたいと思います。
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# by gtskokoro | 2009-06-29 16:03
一眼の亀の浮木の穴
大海の中より、千年に一度しか浮かんでこない片目の亀がおりました。その亀は手足が
なくヒレもありません。そして、この亀は腹が焼けた鉄のごとく熱く、甲羅は雪山のように
冷たいのです。この亀が昼夜願うのは、熱い腹を冷やし冷たい甲羅を温めることでした。

赤栴檀(あかせんだん)という聖木があるのですが、この栴檀こそ唯一この片目の亀の
腹を冷やすことができる木でした。しかし、この亀が、赤栴檀の聖木にであうのは非常に
難しい話でした。
なにしろこの片目の亀は、大海の中より千年に一度しか浮かんでこず、海は広大です。
凡木にであえることはあるかもしれませんが、聖木に出会うことはほとんどありません。
それに仮に聖木にであったとしても、その聖木がちょうど亀が乗りやすい木で、しかも、
その木に亀がすっぽり入れる穴があいてないと、日の光で甲羅を温め腹を聖木で冷や
すということができません。聖木にあいてる穴が、大きければ亀はストンとそのまま海に
落ち底に沈み、また上がってくるのに千年かかり、小さければ穴に入ることはできません。
聖木にあいてる穴が、大きくても小さくてもだめで、ちょうど亀が入れる大きさでないとだ
めなのです。そして、そのような聖木が仮に亀の前を流れていったとしても、その聖木が
片目の亀の眼の見えない方を流れていけば、亀は聖木に気づくことはありません。
はたして、この片目の亀は聖木にであうことができるのでしょうか?

これは仏様の法に、であうことの難しさを示した説話ですが、この片目の亀が聖木にであ
うより、仏陀の法にであうのは難しいのです。
イエス・キリストがイスラエルに出られて、二千年の月日が流れました。その間、多くの名
僧、高僧、宗教家といわれた方々が出てこられましたが、キリストほどの奇跡を起こし、
福音を説かれた方はいません。
仏陀と呼ばれる方は、数千年に一度しかこの世に出世されず、しかも同じ時代に生れても
その方に気づかず、一生を終える人も多いのです。キリストの時代キリストを救世主と信じ
た人がどれほどいたでしょう?もし、ほとんどの人がキリストを本当の救世主と信じ、キリ
ストの説かれた福音を実践していたならば、キリストが十字架にかかることはありませんで
した。ほとんどの人は、キリストの奇跡を見てその奇跡に驚き、祭り上げたにすぎません。
それは、エルサレムにキリストが入った時に、あれほど熱狂した民衆が、手のひらを返した
ように十字架にかけた、その事実を見てもよくわかります。あの時代、ほとんどの人がキり
ストを救世主とは見ていなかったのです。
しかし、二千年たった現在キリストは救世主であったと世界の人が認めています。
本当の歴史というものは百年~二百年たたないと分からないのです。

現在の日本に仏陀が出世され、その法はかろうじて残っています。高橋信次先生が仏陀
であったということは、科学が発達することにより分かってきます。それは、科学が発達す
ればするほど、高橋先生が説かれた法を裏付けてくれるからです。
科学で裏付けが取れない宗教の教えなど、本当の教えではありません。なぜなら宗教と
科学は一致しなければならないからです。キリストの教えも、釈尊の教えも科学と一致し
ます。ただ、キリストの時代も釈尊の時代も科学が発達していなかったため、それが分か
らなかっただけです。
仏陀が説く法とは、神がこの世をつくられた時からあり、そして、科学がまだ到達すること
ができない、最新の科学でもあるのです。

仏陀の法に巡り合うのは、片目の亀が聖木にであうことより難しいのです。もし、その法に
巡り合い実践することができたのなら、生きている間はもちろんのこと、死んだその先まで
救われることになります。
仏陀の法に巡り合う難しさ、大事さを知ってください。
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# by gtskokoro | 2009-06-26 15:41
6月25日
釈尊のことをインド当時仏陀(ブッダ)と呼んでいました。これは悟られた人という意味
だと伝えられていますが、もちろんそういう意味もありますが、仏陀の本当の意味は、
『宇宙創造の神と一体となり、その神の意志を誤ることなく伝える力を持たれた方』
ということであり、釈尊が出世される前にも、やはりこの仏陀と呼ばれる方は現れ、多くの
衆生を善導していかれたのであります。釈尊以前でいえばエジプトに出世されたモーゼ、
ギリシャに出世されたゼウスと言われた方がそれであり、釈尊以後ではイスラエルに出世
されたイエス・キリストがそうです。

1976年6月25日高橋信次先生が亡くなられました。今日は高橋先生の33回目の命日
です。
私はこの方の本を読み、この方こそ本物だと確信し、この方の教えを学びたいと思いまし
たが、その時はすでに高橋先生は亡くなられた後で、お目にかかる機会はありませんで
した。
私が高橋先生の本を読んで、一番衝撃を受けたのが“悟り”を文字で現わした部分です。
これは、キリストやモーゼと言われた方でも、できえなかったことでした。
高橋信次著「人間・釈迦」より抜粋

この大宇宙は神によってつくられた。
大宇宙が発生する以前の大宇宙は、光明という神の意識だけが、そこにあった。
神は、その意識の中で意思をもたれた。
大宇宙の創造は、神の意思によってはじまった。
意識の働く宇宙と、物質界の宇宙の二つの世界を創造した。
意識界の宇宙はその意思をもって物質界の宇宙を動かし、そうしてこの二つの世界は、
光と影という相関関係を通して、永遠の調和を目的とすることになった。
神の意識は、永遠の調和を目指し、そうして、二つの世界にあって、調和の要である中
道という法秩序の中に住まわれることになった。
人間は、天地創造とともに、神の意識から別れ、神の意思を受け継ぐ万物の霊長として
産声をあげた。
………。

この高橋先生が書かれた、悟りを文字で現わした部分はまだまだ続きますが、この中には
宇宙が始まる前には、光明という神の大意識があり、そこから神は意思をもたれ意識界の
宇宙と物質界の二つの大宇宙を創造し、神の意識から別れた人間をつくり、人間の輪廻転
生や、これまでの地球の歴史などが書かれてあるのですが、私はこの悟りの部分を呼ん
だ時の感動は今でも忘れられません。
こういうことが想像で書けるとはとても思えませんでしたし、あとあと色々勉強していくと、高
橋先生の悟りの部分は、ほとんど科学でも裏付けがとれることも分かりました。

この大宇宙に、人間以外の特別な超大意識(神)が存在すると、一部の科学者はすでに認
めて(もちろんほんの一部の科学者ですが)いますし、この世は三次元だけでなく、四次元
以降多次元の世界があるということも、アメリカなどでは、論文で発表している科学者もい
ます。輪廻転生は日本でも研究中ですし、高橋先生が書かれた悟りの部分は、ほとんど現
在の科学で裏付けがとれているのです。
ずいぶん不思議な話ですね。最近の科学でやっと分かり始めた事実が、30数年も前にす
でに本に書かれていたとは?

不思議でもなんでもありません。この方も仏陀と呼ばれる方であったからです。私が前に
書いた日本に出世された如来とは、この方であったからです。
もし、そんな馬鹿なと思われる方がいたらお聞きしたいのですが、世の名僧、高僧といわれ
る方で、悟りをこのように文字で現わした人がいましたか、と。
そのような方々は悟りとは、無我の境地になることである、無の心になることである、無念無
想などと、お題目のように言っておりますが、無我の境地とか無の心とかいうものは、どうい
う意味でしょう?無とは何も考えないということでしょうか?何も考えないというのは、何も考
えないということを考えていることでしょうし、そういうことも考えないのであれば、ボーとして
いるのが悟りの境地といっても、さほど間違いでもないように思いますが、どうなのでしょう。

悟りとは、そのような境地ではありません。悟りとは、この世のすべてが一瞬で分かり、自分
の心を完全にコントロールでき、宇宙と自分は一体であるということを自覚する、これを悟り
の境地(宇宙即我・うちゅうそくわれ)というのです。
高橋信次先生の悟りの部分を読んでもらえれば分かると思いますが、悟りとは、無念無想
ではなく有念有想なのです。

高橋信次先生が日本に出世されたことで、はじめて“悟り”が文字で現わされました。それは
空前にして絶後の大偉業であったのです。
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# by gtskokoro | 2009-06-25 15:44
シャリー・プトラーと文殊と普賢
釈尊の教えは旧約聖書同様、最初は口から口に伝えられる口伝でした。その教えが
文字に書かれるようになったのは、釈尊が亡くなられて、二~三百年ほど後のことで、
それから七百年くらいまでの間に書かれたものが、現在のお経であり仏典です。
釈尊が亡くなられると、それまで黙っていた者が、急に私は釈尊からこのように聞いた、
あのように聞いた、と言い始め、それが本当の神理と混ざり現在まで残されている、お経
や仏典になっていきました。このように聞いた、あのように聞いた、と勝手なことを言いだ
した代表格が、文殊と普賢です。

シャリー・プトラー(舎利弗)は釈尊の右腕として、時には釈尊のかわりに説法をし、
多くの人に釈尊の正法神理をより分かりやすく伝え、そうして智慧第一と称されました。
ところが現在では、智慧といえば「三人よれば文殊の智慧」といわれるように、釈尊の弟
子の中で、十大弟子でもなかった文殊が、智慧の菩薩といわれるようになっています。
この文殊の話がでてくるのが「維摩経」で、維摩という大商人が病気になり、釈尊が十大
弟子を見舞いにやろうとしますが、十大弟子は皆この維摩にやり込められたことがあるた
め辞退します。そうして最後に登場するのが文殊で、文殊が智慧をつかって維摩をやり込
め、あの十大弟子でもかなわなかった維摩でさえ、文殊の智慧にはかなわなかった、と
いうことで「文殊の智慧」といわれるようになります。
しかし、これはまったくの創作で維摩という人物は実在しません。
それに文殊という人は、釈尊が生きていられた時は、釈尊の弟子というだけで高弟でも
なんでもなく、ただの目立ちたがり屋にすぎませんでした。

ところがこの目立ちたがり屋の文殊が、釈尊が亡くなられた後「年をとったあの人達(十大
弟子や他の釈尊の高弟達)はどう言っているか知らないが、私は釈尊からこのように聞い
たのです」と騒いで回ったことが、人から人へと伝えられていって、釈尊滅後数百年もす
ると、文殊が適当に語ったことまで真実のように伝わり、維摩経のような小説の教えまで
つくられていきました。
本来なら「三人よれば舎利弗の智慧」というのが正しいのであり、文殊など後世に名を残す
人物などではないのです。
釈尊の弟子というだけで、適当に語ったことまで周りの人々は信じ込んでしまい、後々まで
伝えられてしまう、このような目立ちたがり屋の罪は極めて重いのです。

そうして、この文殊と同じような目立ちたがり屋だったのが普賢です。普賢も「あの年取った
人達は、釈尊のようになりたいと懸命に禅定をしているが、あんな禅定のやり方で悟れる
わけがない。私は禅定はこのように教えられた」と、勝手なことを言いまわり、それが伝えら
れていって、数百年後には法華経の最後にでてくる「観普賢菩薩行法経」というお経にまで
なっていきます。
普賢も釈尊の教えを聞いていたのですから、釈尊とまったく違うことを言ったわけではなか
ったのですが、しかし、普賢も文殊と同じように釈尊の高弟だったわけでもなく、ただの目立
ちたがり屋の弟子にすぎませんでした。同じ釈尊の弟子で同じように釈尊の教えを聞いて
も、シャリー・プトラーや他の十大弟子が伝える禅定と、普賢の伝える禅定では自ずと差が
ありました。当然、普賢の伝える禅定の方が未熟であったのですが、普賢は十大弟子をけ
なしておいて、自分の話をしたから「普賢は偉い」ということになり、釈尊在世当時にはまっ
たくたいしたことがなかった、普賢まで評価を受けるようになっていき「観普賢菩薩行法経」
という、お経まで後の時代につくられることになってしまいました。

しかし、文殊も普賢も釈尊の弟子の時代には、まったくたいしたことがない未熟者であり、
それが、もっと上の釈尊の右腕とまで言われたシャリー・プトラーや他の十大弟子より、
評価を得ているのはまことに遺憾で、逆にいえば当時の人々が、このようないいかげん
な連中の言葉までも、釈尊の正法として聞いてしまい現在まで、その教えが残っている
ということに恐ろしさを感じますが、それでも、そのような間違った教えばかりでなく、今日
残っているような形で、釈尊の教えである仏教が残ってきたのは、シャリー・プトラーが
生前に理論的にまとめていたものが中心になっています。

シャリー・プトラーは釈尊の教えを一瞬で理解することができました。だからこそ四十五年
間にわたり、正法神理を説かれた釈尊の多くの言葉を、より分かりやすく衆生に語り、まと
めることができたのです。
現在は釈尊の右腕といわれたシャリー・プトラーより、間違ったことを勝手に言いまわった
文殊や普賢の方が有名で評価を受けていますが、それは大きな間違いであり、シャリー・
プトラーがいたからこそ、曲がりなりにも今日まで仏教は伝えられ、それによって多くの人
が救われていくことになりました。
釈尊の偉大さは、その右腕であったシャリー・プトラーが存在したことにより、多くの人々に
伝えられました。それは釈尊とともに、シャリー・プトラーもまた偉大なる人物であったから
です。
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# by gtskokoro | 2009-06-24 18:01
釈尊とその弟子達
お釈迦様(釈尊)の物語は、よく見たり聞いたりしますが、釈尊の右腕といわれ釈迦教
団で筆頭の弟子といわれていた、シャリー・プトラー(舎利弗)の話はあまり聞きません。
このシャリー・プトラーを中心にして、釈尊やその弟子達の話を書いてみます。

インドで35歳で悟りを開かれた釈尊は、多くの人々に神の教えである正法神理(しょう
ほうしんり)を伝えます。しかし、釈尊在世中、釈尊の教えを広めるためには、釈尊一人
では限界がありました。そのため釈尊から直接教えを聞いた弟子達が、それぞれ地方
に散って説法をしていました。
釈尊の弟子達は、その当時あらゆる階層から集まってきていて、最高のバラモンの教え
を学びつくした者から、まったく無学の奴隷階級の者まで、その教養の程度も最高から
最低まで様々でありました。この当時(現在でもそうですが)インドでは身分制度である
カースト制度の影響が非常に強く、最高のバラモンから最下層である奴隷まで、同じよ
うに修行をしている教団などありませんでした。しかし、釈尊は人がつくった身分制度など
認めず、誰にでも平等に教えを説いていました。
釈尊の弟子達は、悟りを開くという目的は一つであっても、弟子達個人の能力にはやはり
差があり、釈尊が正法を弟子達に対して説く説き方も、弟子達の受け取り方もまちまちで
ありました。しかし、釈尊はあえて弟子達の思想や言語を統一しようとはされず、弟子達
は各自の能力と置かれた環境と境遇に、ふさわしい修行をしていました。
後の人々が、釈尊の十大弟子と尊称をもって呼ぶようになる人達でも、かなりの差があっ
たようです。

釈尊の右腕と呼ばれて弟子の筆頭にあげられるシャリー・プトラーは、当時貴族の家に
生まれ、バラモン教もアサンジャという師の教えも学びつくし、わずか16歳でその名声は
近隣に鳴り響いていた天才でした。そういう人物が釈尊の弟子になり、その教えを受けま
した。するとシャリー・プトラーは、たちまちのうちに釈尊の教えを理解し、釈尊が一言神
理を説けば、その言葉にどういう意味があるのか、それをより深く掘り下げ、多くの人によ
り分かりやすく、語れる力をもたれた方でありました。どれだけ智慧があるのか、その智慧
の深さが分かりませんでした。中国に釈尊の神理が伝わった時、シャリー・プトラーが「智
慧第一」と称された所以です。

それに対して、同じく十大弟子の中で「持律第一」と呼ばれたウパリは、理髪師でありまし
た。当時のインドでは、理髪師はあまり高い階層ではなく、自分で教えを学ぼうと思っても
学べる教えも限られていました。ウパリはウパリで、自分で学んできたものの上に釈尊の
教えを聞きました。
必然的にシャリー・プトラーとウパリでは、釈尊の教えを聞いても、受け取り方に相違が
生じます。また他の弟子達の間にも個人個人の神理の理解度により、同じ神理を聞いて
も、自然に受け取り方が違い説き方も違っていました。

はっきりいえば、シャリー・プトラーのように、小さいころからバラモンの教えなどを学び、
それらのものをすべて学びつくした天才が、釈尊の教えを伝えるならば、釈尊の教えは
正しく伝わりますが、あまり学んでいない者が釈尊の教えを伝えても、正しく伝わる部分
もあるが、正しく伝わらない部分もある、ということです。
これが分からなかったため、後の人々は歪められた部分のある、釈尊の正法神理とその
物語を信じていくことになったのです。

釈尊とその弟子達の正しい物語を、これから何回かに分けて、書いていきたいと思います。
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# by gtskokoro | 2009-06-23 15:26
一番はじめに知らなければならないこと
知らなければならないことが、世の中にはたくさんありますが、その中で最も大事で一番
先に知らなければならないものが法(神理)です。
釈尊が説かれた正法、キリストが説かれた福音がそれにあたります。
釈尊やキリストは、仏教的にいえば如来と呼ばれる方々です。この如来が出世されるとき
には、その手足となって働く使命を持った多くの光の天使が、ともに生まれます。
釈尊でいえば右腕と言われた舎利弗(しゃりほつ)はじめ多くの弟子達、キリストでいえば
ペテロを筆頭にした十二使徒やパウロやルカといった弟子達です。

如来がこの世に生まれる時期は、もっとも神の法が分からなくなった時代である、末法の
世に出られることになっています。末法の世(まっぽうのよ)とは、何が正しく、何が正しく
ないのか分からなくなった、混乱した時代を言いますが、まさに現代はそのような末法の
世であるといえましょう。
ひったくりのような犯罪は日常茶飯事、不倫や援助交際など、たいして悪いとも思わず、
親が子を虐待し、子が親を殺し、はては無差別殺人まで、一体どこまでやるのかと思える
くらい、悪の連鎖が続いています。またケンカまではいかなくとも、顔を見た、目があった、
鼻をすすった、少し音をたてた、というくだらない理由で腹を立て、また嫌がらせのようなこ
とも、当たり前のようにしています。
これが正しい世の中でしょうか?このようなことを多くの人が、たいして悪いとも思わずやっ
ているのです。これを末法の世といわず、どのような時代を末法というのでしょう。

このような時代に如来は現れます。数千年の時を経て如来が、この日本に生まれられまし
た。そして、神の法である神理を説き、多くの奇跡を起こし世を去られました。しかし、多くの
人が、この事実を知りません。
今のようにインターネットやテレビなどない時代でも、如来がこの世に出世されれば、多くの
人が、その事実を知りました。釈尊しかり、キリストしかりです。しかし、今生はじめて如来
がこの世に出て、それを多くの人が知るに至りませんでした。ということは、多くの人が神
理を知らないということになり、悪が栄えるのも無理のない話になります。

なぜ、如来がこの世に出られたのに、多くの人が気づかなかったのでしょう?それは、古
今未曾有の大事件が起きたことと、あとは一人一人の心の在り方に、問題があったという
ことです。
多くの人が自分さえよければ、という考えが多かったからです。このような小さな考え
では、正しい法は理解できません。何か事件が起きても、自分や自分の家族が巻き添えに
ならなくてよかった、くらいにしか考えず、楽して儲かるような話には、すぐ腰を浮かせ、心
の向上やら世の中をよくしていこうという話には、自分のことで精いっぱいなどと、積極的に
何かやろうとする人はほとんどいません。人に何かよいことをしてもらっても、そのお返しを
しようともせず、自分さえよければよい。このような人が多いのです。

このような自己中心的な人が多くて、正しい法に気づくはずがありません。法を知るには、
視野をひろげ正しいものは何なのかという、積極的な求道心がなければ知ることはない
からです。
たとえば人に何かしてもらって、知らん顔をしていた人がいたとします。この人は、それ
が悪いことと思わず、それを続けています。息を吸ってばかりいて、はかなかったらどう
なるでしょう。食べてばかりいて、下から出さなかったらどうなるでしょう。体を壊し不幸に
なります。結局、先ほどの行為は、これと同じことなのです。このようなことを続けていれ
ば、その人は、人にしてもらった、それ以上のものをなくすことになり、不幸になります。
悪いことをしなければ、それでよいと思っている人も多いでしょうが、法を知らないと何が
よくて何が悪いのか、はっきりした判断ができません。そして、知らず知らずのうちに悪を
行っている人も多いのです。
私達は、悪いことをしないために生れてきたのではなく、よいことをするために生れてきて
います。それには悪いことをしないという消極的姿勢ではなく、よいことを積極的に行うと
いう心と行いがないと、自分も周りも変わらないのです。それに、よい行為を積極的に行
わないと、この世は浄化されていきません。悪いことをしなければよいのではなく、悪を善
にかえてやろうという菩薩心がないと、この世はよくなっていかないのです。

そんなこと知っていても知らなくても、どちらでもいい、ではなく、一番先に知るべきこと
は、知らなければならないのです。
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# by gtskokoro | 2009-06-22 17:09
大宇宙の始まりと人間の使命
それでは、科学でまだ分かっていない大宇宙の始まりと、なぜ私達人間がこの世に生ま
れてきたのかを、高橋先生と園頭先生の本を参考に、書いてみましょう。
高橋信次先生が書かれた「人間・釈迦」に、この世の始まりが次のように書かれています。

<この大宇宙は神によってつくられた。
 大宇宙が発生する以前の大宇宙は、光明という神の意識だけが、そこにあった。
 神は、その意識の中で意思をもたれた。
 大宇宙の創造は、神の意思によってはじまった。>

神は、その意思を持ってエネルギーを発生させ、原子をつくり分子をつくり気体を発生さ
せ、やがて液体となり固体となって、大宇宙は神の意思のままに整然と天体がつくられて
いきます。
地球は46億年ほど前に、冷たいガスとダストの雲から、太陽や他の惑星とともに生まれ
ました。太陽を中心とした星雲はそれぞれ凝固すると、太陽を中心として自転しながら公
転し始めます。
できたばかりのガス体であった地球は、灼熱高温の一大火球でありました。自転公転を
繰り返しているうちに、次第に地球は冷え固まって天と地に分かれます。冷えて固まった
最初の頃の地球は、全部水に覆われていました。やがて、水に覆われていた地球のあち
こちで爆発が起こり始め、水面上に陸地が現れます。
多くの時が流れ、そのうちに地球のあちこちで起こっていた爆発も減っていき、天に昇って
いた灰も水蒸気も地表面におさまり、地球は徐々に静かになっていきます。
地球が静かになると、晴れた空と海と陸地に分かれ、段々と生物が生存しやすい条件が
整えられていきました。

神は、はじめに天体をつくられました。大宇宙をつくり銀河系宇宙、太陽系そしてその中に
ある地球をつくられ、地球に大地と空気層をつくられました。これらは皆鉱物です。
しかし鉱物はつくられたままで、それ自体として増殖する生命力をもちません。そこで神は、
自ら成長するものとして、今度は植物をつくられます。しかし植物は、生長する自由は与え
られていますが、自ら位置を移動する自由がありませんでした。そこで今度は動物をつくら
れます。しかし、この動物も動く自由は持たされましたが、与えられた本能のまま動くだけ
で、自分の意識によって何かをつくりだすとか、変化する創造の自由を持ちませんでした。

鉱物は鉱物として、植物は植物として、動物は動物としての意識はあっても、それらは皆、
自由意思を持たない、他によって支配されるのを待つという、受身的な存在でありました。
そこで最後に神は、完全なる自由な創造力をもった人間をつくられました。
人間は万物の霊長として、神の意思を受け継ぐ神の子として、この世界に現わされました。
神は、自らの意思によりこの大宇宙を創造され、それと同時に神の子である人間は、神の
創造された地球の上に、神がつくられた素材を利用して、人間自らの自由意思により創造
的に生き、神の心の現れである、大調和の世界すなわちユートピアを建設するため、使命
を持って生れたのです。(だから私は前に大調和すると奇跡が起きるといったのです)

しかし多くの人間が、そのことを忘れ自我と欲望のままに生きていました。そこで神は、人
間本来の使命に気づかせようと、多くの光の天使を地上に送ります。モーゼしかり、キリ
ストしかり、釈尊しかりです。しかし、それでもまだ、多くの人々が自分の使命に気づきま
せんでした。
神は人間に自由を与えられました。善を行うもそれ以外のこと(悪)を行うも自由です。し
かし神は、人間があまりに悪を犯さないよう法則をつくられています。善を行えば善が、
悪を行えば悪が自分に返ってきます。これまでの多くの天災地変は、一体何を物語って
いるのでしょうか。

科学は神の存在を認めていません。しかし、神という第一原因者を認めなければ、何も
始まらないのです。私達がなぜこの世に生まれてきているのか?その本来の意味を知
ってください。
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# by gtskokoro | 2009-06-18 15:37
唯物、無神論から唯心、有神論へ
前に私は、霊の存在はすでに科学で認められている、と書きましたが、正確には認める
学者もいれば、認めない学者もいる、というのが実状です。
もちろん認めていない学者の方が多いのですが、しかし、霊の存在を認めなければほか
に考えられないようなことが起きています。それが多重人格です。

最近このような病気が増えているということですが、一番有名なのは、やはりビリー・ミリ
ガンでしょう。この人は24人の人格を持つといわれ、それを4人の精神科医と1名の心
理学者が認めました。このミリガンは重罪を犯したにも関わらず、多重人格のため精神
障害という理由で無罪とされ、それを、一緒に働いていた人達や、被害を受けた大半の人
達も認めています。
しかし、一人の人間に何人もの人格が備わっている、というのはどういうことでしょう?
普通は一人の人には、一人の人格しかありませんが、このミリガンは自分以外でアーサ
ー、レイゲン、アレン、トミー、ダニィー、ディビィット、クリステン、クリストファー、アダラナ、
その他で計24人の人格があり、その一人一人がちゃんとした個性を持ち、ビリーが別の
人格になると、話す言葉はもちろん癖や態度までかわってしまったそうです。これをただ
の精神異常でかたずけてしまっていいのでしょうか。霊の憑依と認める学者もいますが、
この多重人格という病気が、どのような病気なのかは、まだはっきり分かっていません。

ところが、この多重人格と思える人が実は聖書の中にもでてきます。マルコ伝には次の
ように書かれています。

<イエスが船からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イ
エスに出会った。この人は墓場を住処としており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎと
めて置けなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを
砕くので、誰も彼を押さえつけることができなかったからである。そして、夜昼たえまなく墓
場や山で叫び続けて、石で自分の体を傷つけていた。ところが、この人がイエスを遠くから
見て、走り寄って拝し、大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたは私となん
の係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、私を苦しめないでください」。
それはイエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。また彼に
「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大勢なのですから」と答えた。
そして、自分達をこの土地から追い出さないようにと、しきりに願い続けた。さて、そこの山
の中腹に、豚の大群が飼ってあった。霊はイエスに願って言った、「私どもを、豚にはいら
せてください。そのなかへ送ってください」イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは
出って行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけ
から海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。豚を飼う者たちが逃げ
だして、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見に来た。そして、イエス
のところにきて、悪霊に憑かれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギ
オンを宿していた者であるのを見て、恐れた。>

「レギオンといいます。大勢なのですから」この悪霊に憑かれた男は、こう自分の名前をキリ
ストに言います。レギオンとはローマの軍隊の名称で5千~6千人からなる部隊のことです。
この男は、多くの悪霊に憑かれた男として、このあたりでは有名で、静かにいたかと思ったら
急に暴れだし、そうかと思えば自分の体を傷つけだしたりと、色々に人格がかわり、恐れられ
ていました。それで村人達はそのように呼んでいたと思うのですが、その悪霊をキリストは
いっぺんに豚の群れに追い祓ってしまいます。そして豚は狂い、狂っていた男が正気に戻っ
ていたので、その男のことをよく知る村人達は、キリストを見て、こんな不思議なことを一度
にしてしまった、この男は何者なのかと恐れたのです。

このレギオンと多重人格の人は非常に似通っています。多重人格者もレギオンと同じよう
な行動をとります。だとすれば霊の憑依と認めてもよさそうなものですが、霊の存在を認め
るのは医学の世界でもお嫌なようです。しかし、医学の世界で一方では輪廻転生を研究し、
一方では霊の存在を否定するのは、矛盾しているのではないでしょうか。医学の世界は
霊の存在を認めないから、解明できない問題が色々でてくるのです。

たとえば医学的には、精子と卵子が結合して子供が生まれるといわれますが、しかし、精子
と卵子が結合しただけでは子供になりません。精子と卵子が結合すれば、卵子に与えられ
ている細胞分裂の働きにより、一個の卵子が二個になり、それが四個になり八個になりして
分裂して増殖していきますが、それで赤ん坊の体がつくられることはありません。
細胞分裂だけして肉体にならないものを「ぶどう状奇胎」といいます。
現在の医学界では生命がどのようにして起こり、受精卵がどうやって多細胞の生物体へと
発展するかが、分からないのです。つまり、どうして母親の体内で精子と卵子が結合し、そ
れに生命が与えられ、赤ん坊の肉体になっていくのかが、まったく分かっていないのです。

精子と卵子が結合しただけでは肉体にならないものが、では、どうしたら赤ん坊の肉体に
なっていくのでしょう。それは、その夫婦の子となる縁のある霊(生命)が、細胞分裂をコント
ロールして配列していくことにより、結合した精子と卵子は、段々と赤ん坊の肉体となってつ
くられていきます。つまり霊が支配しなければ、赤ん坊の肉体になっていかないのです。
こんなところにも人間の神秘さがうかがえますが、霊の存在を抜きにして、人間の誕生など
語れないのです。
現在の科学にしても、この医学界にしても神や霊の存在を無視して進んでいますが、神や
霊の存在を認め、謙虚に研究を続けていくのならば、科学や医学界は劇的な発展をとげる
ことになります。
21世紀は心の世紀です。科学や医学の世界が一日も早く、唯物、無神論から唯心、有神
論へ、かわっていくことを願ってやみません。
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# by gtskokoro | 2009-06-16 17:31
使徒ペテロ
このようなことを書くと、頭から否定される人も多いのでしょうが、21世紀は心の世紀
といわれ、輪廻転生も学者や精神科医から認められ始めた現代、素直で柔軟な心を
持っている人が多いと信じて、輪廻転生の具体例を一つ書きます。

私は前回お釈迦様や、モーゼ、キリストの時代に肉体を持っていた人もいたかも知れま
せん、と書きましたが、キリストの一番弟子でありましたペテロが、日本に生れてきていま
す。その人は元東大総長でありました矢内原忠雄氏です。

矢内原氏は昭和36年に亡くなられましたが、生涯をキリスト教伝道にそそがれ、たくさん
の著書を残していられます。矢内原氏の著書には、その当時生まれていなければ分から
ないような、不思議な書き方をしているところが何カ所もあり、当時のキリストやペテロの
思いがよくわかります。その中でも次に抜粋するところは、当時のペテロの思いが痛い
ほど伝わってきます。

私は前に最後の晩餐のところを少し書いたことがあります。ペテロはその席で、キリストが
この中の一人が私を裏切ろうとしている、という言葉に、皆が裏切っても私だけは裏切りま
せん、と答えます。
キリストは「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないという
だろう」といい、ペテロは「たとえあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らな
いなどとは、決して申しません」とむきになって答えます。他の弟子達も同じように答えまし
た。

しかし、このあとユダが裏切り祭司長をはじめ多くの群衆を連れて、キリストを捕らえに来ま
すと、弟子達は皆、逃げ去ってしまいます。そうして群衆がキリストを裁判所まで引っ張って
いくのですが、逃げ去った弟子の中で一人ペテロだけが、キリストが心配になり戻ってきて、
群衆の後をつけていきます。キリストは裁判にかけられ、多くの群衆は裁判所の中庭に入
り焚き火にあたりながら、キリストの裁判を見守っています。ペテロもその中に入り焚き火
にあたりながら、キリストの様子をうかがっていますと、一人の女がペテロに近づき、ペテロ
の顔をしげしげと見ながら「この人もあのイエスと一緒にいた人です」と言いだします。ペテ
ロは慌てて「あなたは何を言っているんだ」と否定します。しかし女は「この人はあの男の仲
間です」と横にいる役人にいいます。ペテロは重ねて否定しましたが、周りにいる人々が「た
しかに、おまえは、あそこにいるイエスの仲間だ」と騒ぎ出したため、「誓って言うが、私はあ
なた方がいうあの人を知らない」と大きな声でキリストを否定したとたん鶏が鳴きます。その
時、ペテロはキリストが言われた「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないというだ
ろう」という言葉を思い出し、わっと泣きながら往来に飛び出していきます。
矢内原忠雄著イエス伝より抜粋

<イエス伝を始めからここまで学んできて、あの愛と憐憫に満ち、義と真実そのものであり、
神の子として完(まつた)き途を歩んで来られたイエス様が神を瀆(けが)す罪に問われて
死刑に定められ、十字架を負わされて処刑場に引かれ往こうとするのを見る時、奇異なる
感が私どもの心にわき起こるのを禁じえません。神を瀆した罪?それならば、真犯人はこ
の私だ!あの人に罪はない。間違いです。間違いです。神様、大きな誤審です!ーーー
しかし私は名乗って出る勇気はなかった。そして焚き火にあたたまって、もじもじしている
間に、さっさっとあの人の罪は定まって、刑の執行が命令されてしまったのです。しかも人
々が私を怪しんで「汝も仲間だろう」と言った時、私はびっくりして、「否」と三度も拒んで、
逃げ出してしまったのだ。我らの見ている前で我らの恩師は打たれ、辱められ、死に定め
られた。恩師は我らの罪を負うて、死にゆき給う。我らは見ていて何もしなかった。そして
ただ一人死に赴かしめた。なんという、なんという、なんという人間だろう、この私は!>

ここの部分は、ペテロの思いが痛いほど伝わってきて、当時のペテロの思いが非常によく
分かります。現在では世界の救世主と言われているイエス・キリストを、自分の命欲しさに
目の前で裏切るのです。とっさのこととはいえ、このときのペテロの行為は、どれだけ悔や
んでも、悔やみきれるものではなかったでしょう。このときの思いが二千年たった現在でも
心に強く残り、矢内原氏がキリストの十字架の場面を書くとき、懺悔の念として強く心から
湧きあがってくるのです。

自分が意識する、しないにかかわらず、このように過去の人生は、自分の人生に大きな
影響を与えています。心では過去の多くの自分の人生を知っています。心の勉強をする
ということは、過去の人生を含めて、たくさんの事実を知ることにもなります。自分の心の
偉大性を知って下さい。
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# by gtskokoro | 2009-06-15 16:55
輪廻転生
相変わらず仕事が暇で、ブログばかり書いています(笑)いつまでこのブログが書けるか
分かりませんが、書けるあいだは書きます。

私は前に人が生まれ変わるという、輪廻転生は仏典や聖書にも書かれています、と書きま
したが、仏教は輪廻転生を認めていますので、仏典に輪廻転生のことが書いてあっても、
不思議ではありませんが、人の生まれ変わりなど認めていない、聖書の中にそのような
記録が残っているのでしょうか……?残っています。ただしそれが輪廻転生の記録である
と、聖書を読まれる人は気づいてはいませんが。
その輪廻転生が書かれた部分とは、一体どの部分なのか、それが使徒言行録の2の部
分です。

<五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくる
ような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家じゅうに響いた。そして、炎のような舌が分か
れ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせ
るままに、ほかの国々の言葉で話しだした>


キリストの弟子達は、キリストが亡くなると命をかけて、福音を伝えていきます。そのとき多く
の奇跡を起こしますが、ここに起きた奇跡はその一つです。
エルサレムにキリストの弟子達が集まっていると、突然弟子達に聖霊が降り、弟子達が他
国の言葉で語り始めます。ここにいるキリストの弟子達はガリラヤ人ばかりなのに、色々な
国の言葉で語りだしたのです。
エルサレムには色々な国から、信心深い人が集まってきていましたが、自分達の故郷の言
葉を弟子達が話しているので、皆、驚いてしまいます。ペテロがこのあと説教し、この不思議
を見た多くの人達が、洗礼を受けペテロ達に従っていくのですが、これはどういう現象でしょ
う?

この現象について、聖書に詳しい記述はありませんが、たとえば外国語をまったく勉強してい
ない人が、いきなり色々な他国の言葉で語りだしたら、驚いてしまいますよね。
ところが、これと同じ現象が科学の分野で現在進められています。それが退行催眠です。

ある男性は、退行催眠により、自分の過去の人生でヴィキングであった時のことを思い出し、
当時の言葉で、当時のことを語りました。その言葉を専門家に鑑定してもらったところ、現代
のアイスランド語のもとになった古い北欧語で、ほとんどがヴィキングが使用した、海に関す
る語句であり、本当にヴィキングが、当時使っていた言葉であることが分かりました。
すでに数千、数万という人が、退行催眠で過去の人生を思い出し、色々な国の当時の言葉
で当時の模様を話しています。日本でも何人もの精神科医や大学教授が、人間の死後の
生存に関する様々な研究を行い、死後生存を裏付ける、多くの有力な経験的証拠を発表し
ています。
人の過去の人生は、同じ国にばかりに生まれているのではなく、色々な国に生まれ変わっ
ている、ということが分かってきていますが、先ほどのキリストの弟子達に起きた現象は、
これであったのです。

キリストの弟子達は過去世(過去の人生)を思い出し、過去の言葉で話をしたのです。そ
れが他国の色々な言葉となって、弟子達から話されました。ただしここで弟子達が過去世
を思い出したのは、退行催眠などではなく霊の力でと書いてありますが。

人間の(特別、人間だけではありませんが)死後生存は、科学でも証明されようとしています。
ということは、霊の存在も認めざるを得ないと思いますが…実は霊の存在も科学では、すで
に認められています。このことはまた次回に譲るとしまして、輪廻転生はすべての人が体験
しているということを、知ってください。私達はお釈迦様の時代、あるいはモーゼやキリストの
時代に肉体を持っていたかも知れないのです。そのことを現在の私達は忘れているだけな
のです。このことは近い将来科学で証明されることでしょう。ここであまり詳しくは書けません
が、私達一人一人が過去から未来にかけて、生き通しの生命であるということを知ってくださ
い。それは質量保存の法則を知るならば、理解できるはずです。
この地球上の質量は、増えることも減ることもなく、永遠に同じ質量が保たれている。これは
人間にもあてはまるのです。

人はこの世だけの人生で、死んでしまえばすべて終わり、だから好き勝手に生きればよい。
そんな考えで、おかしな人生を歩んでしまえばどうなるか、その人は死んだそのあとで大変
な後悔をすることになります。お釈迦様やキリストが語った真理は科学であった、といずれ
証明されることでしょう。だとしたら、お釈迦様やキリストがいわれるような、心の在り方をした
方がよいと思います。
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# by gtskokoro | 2009-06-12 17:34
キリストと十字架
昨日書きましたモーゼと並ぶ人物に、新約聖書にでてくる、イエス・キリストという方が
おられます。キリストを知らない人はまずいないでしょうが、キリストもモーゼに負けず
劣らず、多くの奇跡を起こし人々を救っていきます。
しかし、キリストは最後は十字架にかけられ命を落とすことになります。
多くの人を癒し、福音を説いて正しい道へ教え導いたイエス・キリストが、なぜ最後に
十字架の刑に処せられ、命を落とすことになったのでしょう。多くの奇跡を起こし、神の子
とまでいわれた神通力の持ち主が、十字架にかけられ殺されたというのは、どういうこと
でしょう。それには次のような意味がありました。

キリストは十字架にかけられることを、すでに知っていました。だから最後の晩餐の時に、
「あなたがたのうちのひとりが、私を裏切ろうとしている」といったのです。それを聞いた
ペテロが「たとえほかの者が裏切っても、私は裏切りません」と答えます。キリストは
ペテロに「あなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないという
であろう」といい、ペテロが虚言をはくことも知っています。
ペテロは「私はあなたとともに死ぬことになろうと、あなたを知らないなどとは、いいません」
とやっきになって答えますが、ペテロはキリストがいわれたとおり、ユダが連れてきた祭司
や大勢の群衆にキリストが捕まると、キリストのことを、三度知らないといったのです。

すべてを見通していたキリストは、十字架の刑から逃げようと思えば、逃げることはできまし
た。しかし、キリストは十字架の刑を自ら選ばれたのです。それは、そうしなければキリスト
は、このときこれ以上福音を説くことが、できなかったからです。
これまでキリストは多くの奇跡を起こし、多くの人を救いました。しかし、光が強ければ影も
また強くなるの言葉通り、キリストに反発する人も多かったのです。いつの時代でもそうです
が、どれだけ奇跡を起こそうと、あんなものはただの手品だ、言葉巧みに人をだましている
詐欺師だ、などとケチをつけ反発する人はいます。この時代も、そのような人が多かったの
です。またキリストの激しい気性もあり、キリストに敵対する人も多かったのです。

そのためキリストは、多くの人に福音を知らせるためには、十字架にかけられ自分が死ぬこ
とで、身をもって愛を人々に示す以外方法がなかったのです。しかし、キリストは神を疑う
ことはありませんでした。というと、では、キリストが十字架にかけられての最後の言葉は何
だったのか?という疑問がでてきます。

新約聖書のマタイ伝にはキリストの最後の言葉は「わが神、わが神、どうして私をお見捨て
になったのですか」と書いてあります。ところがルカ伝では「父よ、私の霊をみ手にゆだね
ます」と書いてあります。キリストのことを書いた福音書なのに、キリストの最後の言葉がそ
れぞれ違っているというのは、どういうことでしょう?
それはキリストのことを書いた福音書は、キリスト自身が書いたものではないので、書いた
人の主意や私見が、かなり入ってしまうということです。
つまり福音書を書いたキリストの弟子達が、仮にその場にいたとしても、キリストの最後の
言葉を聞いていたかどうか分からないし、聞いていたとしても、その場の雰囲気や自分の心
の在り方により、聞き方や書き方が違ってくる、ということです。二つの福音書の言葉が、ま
ったく違っているのがそのよい証拠です。

このときのキリストの最後の言葉は「神よ、人々を見捨てたもうな、そのなす所を知らざれば
なり」です。

キリストの最後の言葉に象徴されるように、イエス・キリストというお方は、亡くなる寸前まで
自分を十字架にかけた人達もふくめ、すべての人を神に祈ったのです。自分を裁判にかけ
十字架にかけた人、あるいはむち打ち嘲笑った人もふくめ、すべての人をです。これこそ
神の愛、真の愛の心といっても過言ではないでしょう。
太陽の光が善人であろうと悪人であろうと、平等に与えられているのと同じように、神の使い
であったイエス・キリストの愛は、すべての人に平等に与えられていたのです。右のほほを
ぶたれたら左のほほをだせ、といわれたキリストの愛の心が痛いほど分かります。

キリストが十字架にかけられたことにより、キリストの弟子達は目覚め、キリストの教えは
世界中に広がっていくことになります。キリストは自らの身をとして、愛の心を世界中に伝え
ました。なぜキリストが多くの奇跡を起こし、また二千年たった現在でも多くの人々の信仰を
得ているのか、キリストの愛の深さを知るならば、おのずと理解されてくるはずです。

キリストにせよモーゼにせよ神の愛を実践され、慈悲と愛の塊の心と不思議な神通力を持
たれた偉大な方々でありました。現代の人々も、このような偉大な方々の心を知るというこ
とは、大事なことであるといえましょう。
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# by gtskokoro | 2009-06-11 16:57
預言者モーゼ
私は前回、闘争心丸出しの心では奇跡は起きない、と書きましたが、聖書を読みますと
特に旧約聖書のほうなど、神に逆らった人たちがずいぶん殺されています。
旧約聖書の中で、モーゼの大奇跡で有名な偉大な預言者モーゼでさえ、多くの国々の
人を殺して、カナンの地に進んだことになっています。旧約聖書の中には、ほかにも何
人かの預言者が登場しますが、モーゼはその中でも、一番の人物といっても過言では
ないでしょう。それほどの人物が多くの人を殺したのでしょうか?

モーゼは主ヤハウェーに命ぜられ、エジプトの六十万の民とともに、カナンの地をめざし
ます。その時エジプトの王から、六十万の民を去らせるため十の奇跡を起こします。その
十の奇跡を始まりとして、モーゼは数々の奇跡を起こし、民を導いていきます。四十年
の歳月をかけて、モーゼは六十万の民をカナンの地まで導いていくのですが、そのカナン
に行くには途中、多くの国を通らなければなりません。その多くの国々を通る時、モーゼに
逆らった国や、モーゼの一行を通そうとしなかった国の人々を、モーゼは戦って殺します。

戦国時代の武将というのなら、逆らった国の人々を殺しながら進んだ、というのも分かりま
すが、偉大な預言者であるモーゼが、このようなことをしたのでしょうか?

事実は違います。
偉大な預言者モーゼは一人の人も殺していません。ヤハウェーは怒りの神と聖書には書
いてありますが、ヤハウェーは人を一人殺すも百人殺すも同じこと、といわれていました。
モーゼはヤハウェーから偉大な力を与えられていました。天変地変さえも起こせる力を与
えられていたのです。それはあの海を真っ二つに割った大奇跡でも証明されています。
モーゼは、なぜカナンの地に行くまで四十年もかかったのでしょう。実際のカナンの地は
六十万の民を連れているとはいえ、数年で行ける距離にありました。それが四十年もかか
ったのはなぜでしょう。

それは、モーゼはカナンの地にいくまでの土地に住む先住民族に、時間をかけながら神の
教えを説き、奇跡を起こし、調和しながら進まれたからです。
凶作の地方には雨を降らせてその地を豊作にし、多くの人々の衣食住を安定させ、わかり
やすく神の教えを伝えました。先住民の中には先祖からの教えをかたくなに守り、モーゼの
教えに耳を貸さない者もいました、しかしモーゼは、そのような者にも辛抱強く教え続け、そ
の者が理解するまで、その地にとどまったのです。モーゼの教えを聞かないからと、力づく
で従わせるようなことなど、モーゼはけっしてしていません。であるからこそ主ヤハウェーは
モーゼに偉大な力を与えられたのです。もしモーゼが多くの人を殺していたとしたら、それ
は神の使いなどではなく、悪魔の使いになってしまいます。ヤハウェーは人を殺せなどという
指示など、けっしてだしていません。

聖書は人から人へと言い伝えのように伝えられていったもので、話がところどころかわってし
まっています。特にモーゼの時代の出来事は、モーゼが亡くなって数百年後にやっと文字と
して遺されたもので、話がかわってしまった部分が多いのです。聖書に文句をつけるわけで
はありませんが、旧約聖書の中のモーゼと私がここに書いたモーゼと、どちらが預言者モー
ゼとしてふさわしいかは、読まれる人の判断にお任せします。

モーゼは、このような偉大な聖者であったからこそ、三千年も前から偉大な預言者として、
名を遺しているのです。
聖書学者などがモーゼの大奇跡を、これは比喩的に記して、大衆に分かりやすく伝えた
ものだ、などと奇跡を信じていない人もいますが、ご自分がそのようなことを、まったくでき
ないからと、否定してしまうのもどうかと思います。奇跡の部分がフィクションなら、なぜ数
千年も聖書が語り継がれているのでしょう。奇跡を起こせない人が、奇跡を否定する根拠
はどこからでてくるのでしょう。狭量な考えは捨て視野を広げたならば、奇跡が起きてくる
やもしれません。

モーゼの大奇跡は実際に行われました。それはモーゼが愛と慈悲の塊の人物であった
からです。しかし、奇跡というものは何もモーゼの専売特許ではありません。
誰でも奇跡は起こせるのです。ただし、愛と慈悲の心を持ち調和した世界を築くならば、
という条件がつきますが。
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# by gtskokoro | 2009-06-10 16:45
大天災と奇跡
聖書の中にはいろいろな物語がでてきます。アダムとエバ(イヴ)から始まって、人が
増え始めると、ノアの箱舟現象が起こって人が減り、そうしてまた増え始めると減ると
いうことも書かれてあります。
このような現象は、私達人類の歴史とも不思議と一致します。人類の歴史も人が増えると
大天災が起こって急激に人が減り、また増えると減るということを繰り返しているからです。

人類の歴史を見る限りでは、なぜ人が増えると大天災が起こるのか分かりませんが、聖書
の中には、大天災が起こる理由が書かれてあります。

ノアの箱舟で有名なノアの時代、地上の人口はもう十分に増えていました。しかし、人々は
汚れきり、考えることといえば悪事ばかりでした。そして世の中も暴力に満ちていました。
神は地上に人間をつくったことを後悔し、すべての人間を地上から消そうと考えます。ただし
ノアの一族だけは神を敬い、行いも正しいので救おうとされます。そうしてノアは神の言葉に
従い大きな箱舟を作り、ノアの一族とすべての生き物をのせます。その七日後、神は地上
に大洪水をおこします。この大洪水で、ノアの箱舟にのっていた以外の地上のすべての
生き物が死に絶えます。


アブラハムという心清き人がおりました。この人の前に旅の僧の格好をした、三人の主から
の御使いが現れます。この三人とは七大天使であるミカエル、ガブリエル、ラファエルです。
三人の御使いはアブラハムにいいます、「ソドムとゴモラの罪はひどく重い、という叫びを
聞いた。だから私は町に下ってそれを確かめるつもりだ」このころソドムとゴモラの町は
快楽とはてしなく続く肉欲と同時に、すべての欲が絡み合っていました。ソドムとゴモラの
町は地獄に等しく悲しく壮絶な光景であったのです。しかし、三人の御使い達はアブラハム
に、ソドムとゴモラの町に十人の正しい者がいれば、その十人のために町を滅ぼすことは
しないと誓われます。翌朝アブラハムが丘の上に立ち、ソドムとゴモラの町の方を見ますと
町は跡かたもなく消え去り、地面からはちょうど竈の煙のように、無数の硝煙が立ち上って
いるだけでした。

この聖書の物語は何を物語っているのでしょうか?それは大洪水が起こった原因、ソドムと
ゴモラの町が滅びた原因、それらはすべて人がつくったということです。
ノアの時代、ノアの一族以外で心正しき人がたくさんいたならば、大洪水など起こりません
でした。ソドムとゴモラの町の人々に正しい人が十人いたならば、ソドムとゴモラの町は滅
びませんでした。ノアの時代の人々にせよ、ソドムとゴモラの町の人々にせよ、自分達の
滅びる原因をつくったのは、心と行いが間違っていたからであり、自分達の心がそうした
のです。神や御使い達が人々を滅ぼしたように、聖書には書いてありますが、自らの心が
それを招いたということを知るべきです。

聖書の中には、どのような心になったとき奇跡が起きて、どのような心になったとき大天災
が起きるのかが書かれてあります。現在の私達は奇跡を起こす心の人が多いのでしょうか、
大天災を起こす心の人が多いのでしょうか。もし、奇跡を起こす心になれば、奇跡はすぐに
でも起きるのです。

たとえば私は前にプロ野球選手の話を書きましたが、あのような勝負の世界に生きる人達
にも、私は闘争心を前面にだすようなアドバイスはしておりません。それよりも野球選手に
とって、一番大事なものに感謝しなさいとアドバイスしたのです。相手と喧嘩する心と調和
する心、どちらが強いのかといえば、断然調和する心の方が強いのです。喧嘩する心の
方が強いように感じますが、それは違います。野球でいうなら、自チームに感謝するのは
当然のこと相手のチームにも感謝することです。野球は相手がいて初めて野球になるの
です。バッターはピッチャーがボールを投げてくれて野球になり、ピッチャーはバッターが
立ってくれて野球になります。バッターが立ってくれなければ、ピッチャーがどれだけボー
ルを投げても、それはただのキャッチボールにしかすぎません。
であるならば相手チームは敵なのでしょうか?敵ではありません。周りに敵など一人も
いないのです。相手チームの選手は自分の野球のレベルを上げてくれる、同じ野球仲間
であるということです。そのように調和する心がでてまいりますと、奇跡が起きてきます。
奇跡を起こす心とは大調和の心なのです。勝負の世界は相手に打ち勝つ心や、負けず
嫌いの心が大事だといわれておりますが、一度調和する心になられてみるとよいでしょう、
結果がどのようになるかは、自分が一番よくわかるからです。

聖書にでてくる救世主といわれる方々は、闘争心丸出しで奇跡を起こされたわけではあり
ません。神を信じ人を愛する、愛と調和の心で奇跡を起こされたのです。一人一人が愛と
調和の心を持つことにより、自分自身を救い、そのような小さな救いが、ひいては世界を
救っていくことになるのです。どのような心になった方がいいかは、申しあげるまでもない
でしょう。
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# by gtskokoro | 2009-06-09 17:19
神の存在
世界でナンバーワンのベストセラーとはどのような本でしょうか。それは皆さんよくご存じ
の聖書です。ということは世界の人々が一番読んでる本が、この聖書ということになり
ます。聖書は旧約と新約に分かれていますが、旧約聖書の第一巻「創世記」の冒頭に、
この世の始まりが次のように書いてあります。
<はじめに神は天と地とを創造された地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、
神の霊が水のおもてをおおっていた。>

科学では、この世の始まりを、宇宙はビッグバンから始まったと言っています。そして、
宇宙が発生する前の、ビックバンが起こる前には、時間も空間もエネルギーも物資も
何もない「無」であったとのことです。
科学と宗教の違いとは何でしょうか?簡単にいえば原因と結果がはっきりしているもの
を科学といい、原因がはっきり分からず、単に結果だけいうものを宗教といっています。
水はどうしてできたのか?科学的に言うなら水素と酸素を化合することにより水になる、
といい、宗教的に言うなら、それは神がつくったとか教祖様がつくった、という言い方に
なります。

旧約聖書ではこのあと神は「光あれ」といわれ、昼と夜をつくって一日目が終わり、空と
水をつくって二日目が終わり、三日目に海と地、四日目に太陽と星、五日目に水の中の
生き物と鳥、六日目には地の獣と人をつくり七日目に休まれます。
このように旧約聖書には、この世のすべてのものは神がつくられたと書いてあります。

では科学は、この世のすべてのものは、どのようにしてできたといっているのでしょう?
私の勉強不足なのでしょうか、科学ではこの世(大宇宙)はビッグバンから始まった、
としかいっていません。ビッグバンといわれるほどの大爆発が起こったのなら、それが
起こるだけの、超巨大なエネルギーは、どこからかかったのでしょう?そして、そこから
時間や空間、星となるための物質はどのようにして現れたのでしょう?このような宇宙が
できる、最初の原因については、現在の科学ではまったく説明されておりません。
これで科学といえるのでしょうか?宇宙がどのような理由からつくられているのか、今の
科学ではさっぱり分からないのです。

宇宙がつくられたのなら、つくられるだけの理由があるはずです。宇宙は何か巨大
な力が、目的を持ってつくられたから存在し、つくられてなければ存在していません。
それは我々人間も同じです。つくらたからあり、つくられなければない。簡単な原理
です。
ではその何かとは何か…この秩序整然とした大宇宙を見るとき、私達人間の科学力
などはるかに凌駕した、超巨大な力を感ぜずにはいられません。なぜ大宇宙の星々は、
まるでコンピューターに制御されているかのごとく、正確に運行されているのでしょう?
なぜ大宇宙の星々はそれぞれ自転し公転しているのでしょう?大宇宙の星々を常に
動かしている莫大なエネルギーは、どこからかかっているのでしょう?

この大宇宙を見るならば、大宇宙を動かしている、不思議な意識(目的)をもった超
巨大エネルギーの存在を、科学といえども認めないわけには、いかないのではないで
しょうか。この超巨大なエネルギーを宗教では、神と呼んでいるのです。神という呼び
方がいやなら、超巨大意識でも超巨大エネルギーでも、なんでもいいでしょうが、この
大宇宙にそのような超巨大な力が常に働いているというのは、否定できない事実であり
ます。

現在の科学は神の存在は否定するし、宇宙ができた目的もわからないし、他の動植物
や私達人間がなぜこの世に現れたのかさえも、まったくわかりません。宗教をばかにす
る人も多いですが、科学ではこのような問題は一つも解明できないのです。

聖書のなかには、偉大な力を持たれた救世主が何人も登場し、神通力を駆使して多くの
人を救います。この救世主が説く真理の中に、さまざまな疑問の答えがでてきます。
人はどうしたら幸福になり、不幸になるのか、聖書が世界で一番売れているのは、売れる
だけの理由が何かあるのでしょう。
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# by gtskokoro | 2009-06-08 16:57
循環
今日の名古屋は朝から雨模様です。今日は近くの熱田神宮で、熱田祭りがおこなわれ
ますが、この雨では台無しですね。

天から雨となって降ってくるこの水も、川や池に流れ込み、あるいは私達の飲み水と
なって、さまざまなところを循環し、また水蒸気となり雨となって、この地上に降りそそぎ
ます。これは水の循環です。
花や木も同じで春に花や葉を茂らせ、冬には散らせますが、また春が来ると同じように
花を咲かせ葉を茂らせます。これは植物の循環です。
私達人間や他の動物達が吐き出した炭酸ガスを、植物が吸って酸素を出します。これ
も、私達人間や動物達と植物との空気の循環です。
地球も自転しながら公転しています。この世のすべてのものは循環しているのです。

このような大自然の法則を見ますと、人間だけが死ぬと消えてなくなる、などという
理論が、いかに根拠のない、大自然の法則に反した意見であるかが分かります。

人の循環を輪廻転生(りんねてんしょう)といいます。
この輪廻転生を科学的に研究している科学者もいますが、非常に数が少なく、まだまだ
科学の世界では、認められるところまではいっておりません。しかし、21世紀は心の世紀
といわれています。心の世紀に入っているのなら、心の世界を研究してくれる科学者も
増えてきてくれるでしょう。

この輪廻転生は仏典や聖書にも書かれています。(あまり知られてはおりませんが)この
ようなことも含め、現代より数千年も前から遺る、聖書の奇跡の物語を次回よりひもといて
みたいと思います。
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# by gtskokoro | 2009-06-05 15:50
オーパーツ
昨日アトランティス大陸のことを書きましたが、このアトランティス大陸は高度な文明を
有していたと、プラトンは記しています。
12000年前に海底に没した大陸に高度な文明……?今の常識では認められそうも
ありませんが、古代に高度な文明があったと分かる証拠は、そこかしこに残ってい
ます。それがオーパーツです。

オーパーツとは『それを生みだした時代や文化に合わない、場違いな工芸品』という意味
の英語のフレーズを縮めて作った造語ですが、このオーパーツが世界各国から、たく
さん出てきています。

メキシコ、アカンバロの恐竜土偶、コロンビア、ボゴタの黄金シャトル、マヤ遺跡から発見
された水晶どくろ、インドの錆びない鉄柱、ギリシャの太陽系惑星儀、スコットランドの古
世代の鉄釘、などなど書き出したらきりがありません。詳しく書くスペースはありません
が、このようなものは現在の科学的常識でいえば、古代では作りえなかったものばかり
です。
またこんな面白いものも発掘されています。これはロンドンの自然史博物館に陳列されて
あるらしいのですが、アフリカのザンビアで発掘された、ネアンデルタール人の頭蓋骨です。
このネアンデルタール人の頭蓋骨の左側面に、なんと鉄砲玉の跡が残っているのです。
これは発見当時、ベルリンの法医学専門家によって確認されています。

人間の祖先は猿から分けれた後、猿人、原人、旧人、新人と進化してきたことになって
いますが、旧人の段階のネアンデルタール人の頭蓋骨に、弾痕があるのはどうしたわけ
でしょう?今から10万年ほど前に、ネアンデルタール人以外に、高度な文明を持つ宇宙
人でもいたというのでしょうか?そうとでも言わなければ説明がつきませんね。

このオーパーツは身近なところでも知ることができます。エジプトのピラミッドの建築技術
と数値の不思議は有名で、当時のピラミッドの建築者が、建築技術はもちろんですが、
高度な天文と地球に精通し、地球の大きさまで熟知していなければ、とてもあのような
ものはつくれなかった、ということも近年分かってきています。一昔前まではピラミッド
は、らせん式斜面をつくって、奴隷に巨石を運ばしたといわれておりましたが、らせん
斜面を作って巨石を運びあげるのは、建築学的に見て不可能であるということが判明して
います。
あとナスカの地上絵も有名です。飛行技術のなかった古代に、なぜ巨大な猿や蜘蛛やハチ
ドリなどが地上に描けたのでしょうか?そればかりか、このナスカの地上絵には科学衛星
ランドッサが、上空900キロからとらえた巨大図形まであったとのことですが、どうなって
いるのでしょう?
このようなものは、すべて現在の科学では説明がつきません。

地球46億年の歴史の中で、現在が最高の科学力を誇るなど、科学の驕り以外何物でも
ないように思います。現在の科学は、地球46億年の歴史のすべてを知っているとでも
いうのでしょうか。人間はむかしから人間であったし、過去に高度な文明も数々存在した、
そう認めたほうが早いような気がします。
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# by gtskokoro | 2009-06-04 16:09