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■代表者 大矢由紀夫
 
■所在地 〒456-0062
愛知県名古屋市熱田区
大宝一丁目1番1号
ヴェルクレート日比野A棟216号
■TEL&FAX (052)683-5150
■E-mail info@gts-kokoro.jp
■定休日 土、日曜日
■受付時間 9:00~18:00(予約優先)
一番はじめに知らなければならないこと
知らなければならないことが、世の中にはたくさんありますが、その中で最も大事で一番
先に知らなければならないものが法(神理)です。
釈尊が説かれた正法、キリストが説かれた福音がそれにあたります。
釈尊やキリストは、仏教的にいえば如来と呼ばれる方々です。この如来が出世されるとき
には、その手足となって働く使命を持った多くの光の天使が、ともに生まれます。
釈尊でいえば右腕と言われた舎利弗(しゃりほつ)はじめ多くの弟子達、キリストでいえば
ペテロを筆頭にした十二使徒やパウロやルカといった弟子達です。

如来がこの世に生まれる時期は、もっとも神の法が分からなくなった時代である、末法の
世に出られることになっています。末法の世(まっぽうのよ)とは、何が正しく、何が正しく
ないのか分からなくなった、混乱した時代を言いますが、まさに現代はそのような末法の
世であるといえましょう。
ひったくりのような犯罪は日常茶飯事、不倫や援助交際など、たいして悪いとも思わず、
親が子を虐待し、子が親を殺し、はては無差別殺人まで、一体どこまでやるのかと思える
くらい、悪の連鎖が続いています。またケンカまではいかなくとも、顔を見た、目があった、
鼻をすすった、少し音をたてた、というくだらない理由で腹を立て、また嫌がらせのようなこ
とも、当たり前のようにしています。
これが正しい世の中でしょうか?このようなことを多くの人が、たいして悪いとも思わずやっ
ているのです。これを末法の世といわず、どのような時代を末法というのでしょう。

このような時代に如来は現れます。数千年の時を経て如来が、この日本に生まれられまし
た。そして、神の法である神理を説き、多くの奇跡を起こし世を去られました。しかし、多くの
人が、この事実を知りません。
今のようにインターネットやテレビなどない時代でも、如来がこの世に出世されれば、多くの
人が、その事実を知りました。釈尊しかり、キリストしかりです。しかし、今生はじめて如来
がこの世に出て、それを多くの人が知るに至りませんでした。ということは、多くの人が神
理を知らないということになり、悪が栄えるのも無理のない話になります。

なぜ、如来がこの世に出られたのに、多くの人が気づかなかったのでしょう?それは、古
今未曾有の大事件が起きたことと、あとは一人一人の心の在り方に、問題があったという
ことです。
多くの人が自分さえよければ、という考えが多かったからです。このような小さな考え
では、正しい法は理解できません。何か事件が起きても、自分や自分の家族が巻き添えに
ならなくてよかった、くらいにしか考えず、楽して儲かるような話には、すぐ腰を浮かせ、心
の向上やら世の中をよくしていこうという話には、自分のことで精いっぱいなどと、積極的に
何かやろうとする人はほとんどいません。人に何かよいことをしてもらっても、そのお返しを
しようともせず、自分さえよければよい。このような人が多いのです。

このような自己中心的な人が多くて、正しい法に気づくはずがありません。法を知るには、
視野をひろげ正しいものは何なのかという、積極的な求道心がなければ知ることはない
からです。
たとえば人に何かしてもらって、知らん顔をしていた人がいたとします。この人は、それ
が悪いことと思わず、それを続けています。息を吸ってばかりいて、はかなかったらどう
なるでしょう。食べてばかりいて、下から出さなかったらどうなるでしょう。体を壊し不幸に
なります。結局、先ほどの行為は、これと同じことなのです。このようなことを続けていれ
ば、その人は、人にしてもらった、それ以上のものをなくすことになり、不幸になります。
悪いことをしなければ、それでよいと思っている人も多いでしょうが、法を知らないと何が
よくて何が悪いのか、はっきりした判断ができません。そして、知らず知らずのうちに悪を
行っている人も多いのです。
私達は、悪いことをしないために生れてきたのではなく、よいことをするために生れてきて
います。それには悪いことをしないという消極的姿勢ではなく、よいことを積極的に行うと
いう心と行いがないと、自分も周りも変わらないのです。それに、よい行為を積極的に行
わないと、この世は浄化されていきません。悪いことをしなければよいのではなく、悪を善
にかえてやろうという菩薩心がないと、この世はよくなっていかないのです。

そんなこと知っていても知らなくても、どちらでもいい、ではなく、一番先に知るべきこと
は、知らなければならないのです。
by gtskokoro | 2009-06-22 17:09
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