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ヴェルクレート日比野A棟216号
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■受付時間 9:00~18:00(予約優先)
シャリー・プトラー①
シャリー・プトラー(サリープッタ)は、お経や仏典の中に舎利弗(しゃりほつ・シャリーの族
の者)、舎利子(しゃりし・シャリーの子)の名で、よく出てくる人物です。
インドで釈尊が正法を説いていられた当時、釈尊の右腕といわれていたのが、このシャリ
ー・プトラーでありますが、現在ではシャリー・プトラーよりも文殊や普賢、あるいは弥勒
菩薩という人の方が有名で、釈尊筆頭の弟子であったシャリー・プトラーは、あまり知ら
れていません。
しかし、釈尊が法を説いていられた時、釈尊が一番信頼し、後継者とも思っていたのが、
シャリー・プトラーであり、それは当時の釈尊の弟子達や他の人々も認めていました。

シャリー・プトラーは、中インドにあるマガタ国の首都、ラジャグリハ(王舎城・現在はラジ
ギールと呼ばれています)から西北に十五キロくらいのところにある、ナーランダという村
で生まれました。
父のテッサは非常に優れた高邁な見識をもち、母のシャリーもバラモンの教義に詳しく、
優れた資質をもたれた人でした。
テッサとシャリーは平和な生活を続けていましたが、ある晩シャリーは不思議な夢を見ま
す。その夢とは、鎧兜に身を固めた見たこともない異人が、手に金剛杵(こんごうしょ)を
持って、たくさんの高山や霊山を次々に踏破していきます。そうしてその中の一番高い霊
峰に立ったとみると、夢から目が覚めました。

この夢をシャリーは、夫のテッサにつぶさに語りました。妙に心に残る夢で、不思議な夢を
見るものと奇異に感じていたシャリーは、それから間もなくして妊娠します。すると、にわか
に心が広く澄み渡るように感じて、いかなる問題に対しても、思ったこともない言葉が次々
とでてきて、たちまち答えてしまいました。高邁で優れた見識を持つ夫のテッサでさえ舌を
巻くほどでした。そうして生まれた男の子を、シャリーはウパテッサと名づけます。このウ
パテッサが後年のシャリー・プトラーです。

ウパテッサの母のシャリーは、ウパテッサを受胎する前に見せられた不思議な夢によって、
ウパテッサを育てることに、大きな使命感を感じていました。特に受胎してから、シャリー自
身が大きく成長し変化したこともあって、この子は普通の子ではないと、特別心を砕いて育
てました。
母の思い通りウパテッサのすきとおった頭脳、素晴らしい才能は大人さえも舌を巻くほどで
した。博識な父と聡明怜悧な母の薫陶を受け、八歳から師につきインドの古典ヴェーダ、ウ
パニシャードを学び、膨大なヴェーダ聖典を暗誦し、各派の宗教哲学を研究し、十六歳にな
ると学識は師を超え、その名声は近隣に鳴り響きました。
ウパテッサは容貌、体格ともに優れ鼻も高く額は聡明さをあらわし、家も富み栄えていまし
た。父テッサ、母シャリーの名とともに、天才ウパテッサの名も、誰も知らない者はいません
でした。

この当時インドの宗教は沈滞して、ヴェーダの真意は失われ、祭祀をつかさどるバラモンだ
けが羽振りを効かせ、儀式のみが盛んで、その祭典の儀式には膨大な費用がかかり、本当
の人の救いである心と霊の救いを説く人はいませんでした。
ただ、その中にあって、それぞれ自分の信じたことを説く修行者がありました。それが六師外
道(ろくしげどう)と呼ばれた人達です。
ウパテッサは、その六師外道の一人である、アサンジャ(サンジャペーラチプッタ)の弟子に
なります。このアサンジャの教えは「ある」と思えばある「ない」と思えばない、という懐疑論で
す。たとえば「来世はあるか」とアサンジャに質問すると、「あなたはどう思うか」とアサンジャ
が言います。「私はあると思う」という人に対しては「あなたがあると思えばある」と答え、「な
い」という人には「あなたがないと思えばないのである」と答えます。
アサンジャは、このように曖昧な確定的でない返答ばかりしていたので「鰻のようにぬるぬる
していて捕らえ難い議論」と呼ばれます。

ウパテッサはアサンジャに弟子入りするまで、十分な素養と英才を身につけていたため、わ
ずか三日でアサンジャの教えが、みな分かってしまいます。そのためアサンジャの弟子二
百五十人の講師となり、バラモン教の教えを中心に、自分の得たものを伝えていました。
しかし、心の中にはいつも疑問があり、その疑問はバラモンの経典や他の外道達の教えを
学んでいても、晴れるものではありませんでした。
ウパテッサは自分も救われ、人も救われていく本当の道を探し続けていました。必ずどこか
に人が本当に救われる真の教えを説く、悟られた仏陀がいるはずであると、たえず師を求
め遊行していました。
この頃インドでは、近く仏陀が出世されるという予言が、遠くギリシャの方から伝わっていま
した。
by gtskokoro | 2009-07-09 15:40
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